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名寄市

上川支庁の中核都市・名寄市

名寄といいますと、古い話になりますが、戦前戦後大関として活躍した「名寄岩」の出身地です。

当然、名寄の地名を全国に広げたのは名寄岩であったと、今でも当時を知る人は口を揃えて申します。

名寄市は北緯44度17分から北緯44度28分にあり、北海道の北部と中部にまたがる名寄盆地に位置し、標高80mの低地を流れる天塩川と名寄川の合流点に開けた町で、面積約315平方km、人口約26700人の市です。

名寄市は「自衛隊の街」でもあります。

自衛隊の前身・警察予備隊キャンプの誘致運動によって昭和27年6月、名寄駐屯地の設置が決定、キャンプ建設工事が始まりました。

その面積約48haと広く、建ち抜きを余儀なくされた農家もありました。

しかし、街はキャンプ建設に沸き、隊員の外出を見込んで飲食店、酒場、商店など、大きな動きを見せました。

名寄に駐屯が始まる直前、予備隊は保安隊と替わっており、当初3000人の隊員が駐屯していました。

昭和29年7月、保安隊は自衛隊の改められ、今日に至っております。

そんな中にあって自衛隊が名寄に与えた経済効果は大変なもので、今、自衛隊の再編が行われていますが、今後の動きが注目されています。

名寄の自然現象

名寄盆地は東部の北見山地と西部を縦走する天塩山地に属する雨竜山地に囲まれており、冬は放射冷却現象で気温が低く、真冬の平均気温はマイナス10度、寒さが厳しくなるとマイナス20度~マイナス25度を超える事があり、今では全国的に有名な「サンピラー」(太陽柱)現象」が見られ、そしてダイヤモンドダストも合わせて観測できる町です。

「シバレル」ことが名寄市の観光資源になっております。

そして「雪」、「天から地上に雪が舞い降りてくる」の言葉がピッタリなのが、ここ名寄盆地です。

普通、雪が地上に降った場合、水に近い状態ですが、名寄盆地に降る雪は、雪の結晶がそのままの形を成して降ってきます。

如何に、地上が冷えた状態であるか、想像して見て下さい。

現地に住む人々にとって、寒さは誠に厳しいものですが、「この現象を見たい、カメラに収めたい」と、全国各地から寒い季節にも関わらず、観光客が訪れるというのも、平和な世の中を象徴する現象なのかも知れません。

名寄盆地を訪ねて頂きたいシーズンはやはり、真冬をお勧めいたします。

名寄市の歴史

名寄市は天塩国の上川郡に属し、上名寄村とよばれていた明治30年頃から、北海道の内陸部の開拓が本格化し、名寄地方の開拓も「北海道10年計画」によって、明治32年12月団体入植以外の小口の土地の貸付が、道庁によって発表されました。

土地貸付の受理は翌年の明治33年3月、上川支庁でかいしされたところ、「主に札幌、小樽、滝川、深川などから1000人~1500人が押し掛け、何と旭川警察署から巡査10余名が出動大混乱となりました。」

その他、上川支庁には6000通を超える願書が提出され、選考に困った役所では、「字句、図面が少しでも不完全であったり、面談時の答弁があいまいな者は事務的に却下した」などと伝えられています。

当時の入植の形態は団体移住、単独移住、それに小作移住がありました。

しかし、単独移住は当時としてはなかなか難しく、大きなリスクを抱えての開墾で、準備不足が多く、自作農としては成功せず、小作人、雇人となる例が多かったようです。

名寄盆地の大地に最初に開墾の鍬を下したのは山形団体で、団体長を務めたのが太田豊治でした。

開拓の第一陣が名寄太に到着したのは明治33年5月、遅い雪解け迎え、野に山に桜の花咲く初春に、やっとこの名寄太に到着し、見知らぬ土地への開拓の第一歩でした。

一行は13戸38名で、当時は鉄路も建設中で、和寒までは汽車、士別までは建設中の鉄路をトロッコで、士別から川舟に荷物を載せて、ある者は刈り分け道を徒歩で、名寄太の入植地にたどり着きました。

山形団体の入植先は天塩川の左岸の平地で、現在の曙地区です。

ところで山形団体が移住を決意したのは明治30年、東北地方を襲った大凶作と、先に道内に移住していた親戚縁者のの勧めがあったからです。

太田に引率されて実際に北海道の大地を踏んだのは明治32年春の事で、開拓の先発隊7戸、40名で、酒田港から小樽港、汽車で同郷者が入植していた旭川の永山に身を寄せました。

当時、明治32年まで名寄地方は、陸軍省管轄の屯田兵設置区域で、一般の開拓を願い出ることが叶わず、この年12月、念願の移住者募集が始まりました。

同郷者の勧めもあって、この名寄太を選考し、山形団体に開拓の許可が下りたのでした。

新たに新移住者6戸が加わり、体制を整えての入植でした。

この山形団体が入植した現在の曙地区に、個人入植した人もおりました。

札幌市の市長を3期務めた原田与作氏の父親です。

明治35年の事で、原田氏の「人生記録」の中に「栃木県出身の私達が、なぜ山形団体という入植地に移住したのだろうか?それは私達が行く2年前に山形県から団体移住した人々に貸付を予定していた180haの土地に、何かの事情で欠員が出来たので、団体移住でない私達が割り当てられたらしい」と回想しています。

実際、曙地区だけでも、山形県以外の5県から12戸が入植と市史に記されています。

また、名寄市街地を囲む様に、初期の入植には相場団体(飯館村)、越中団体(高岡市)などがあり、翌年の明治34年には岐阜県、新潟県、熊本県、宮城県の団体などが続々と入植してきました。

しかし、想像以上の気象条件の厳しさは、開墾の夢も敗れ、夜逃げ同然に開墾地を去る者も後を絶たない状況であったといいます。

しかし、名寄は「ほっかいどう第二の上川」、「第二の旭川」として将来が期待され開墾されてきた町でした。

明治36年9月、士別、多寄、風連と敷設してきた官設鉄道・天塩線の鉄路がここ、名寄まで開通しました。

人と物の流通路が南へ開け、本格的な市街地の形成が始まりました。

明治36年から37年頃は戸数1026戸、人口3094人、明治45年には戸数1944戸、人口13053人にも上りました。

入植者の数を調べて見ますと、県別では岐阜県、宮城県、富山県の各県が上位を占めており、地方別では東北、北陸、四国となっています。

名寄市のもち米

水田の100%がもち米生産地の名寄市では、はくちょうもちに名寄ブランド名「ゆきわらべ」を付けて市場に出荷しています。

皆様よくご存知の伊勢名物の「赤福」は、この「ゆきわらべ」を使用しています。

砂糖、あずき、もち米の大半が北海道産と言うのも嬉しいニュースです。

特に「もち米は北海道産」とこだわるのは、柔らかく、きめ細やか、冷めても硬くならず、色、つやがいいなど、高い評価を得ており、特に名寄の「ゆきわらべ」と太鼓判を押されています。

名寄市は全道にさきがけて、もち米の専門栽培を始めております。

うるち米の混じりを防ぎ、もち米の純度を高くする為でもありました。

取引先からの信用を得るためには、品質の良さが何よりと、抜き穂選別を行い、徹底した検査を続けています。

今では1等米の基準を超える粒ぞろい8割とかで、ますますその評価は高くなりそうです。

そこで平成15年3月、冬期間降り積もった雪をエネルギーとして利用する雪冷蔵施設「ゆきわらべ雪中蔵」が建設されました。

乾燥のし過ぎ、蒸れ米などの品質の劣化を防ぎ、新米の鮮度を保ち、もち米の安定供給を図る為だそうです。

伊勢名物の「赤福」

全国的に知られている「赤福」の原料となるもち米の9割をここ、名寄市の農協から出荷しています。

ところで、なぜ名寄のもち米が、お餅にするのに優れているのでしょうか?

それは稲穂が熟する時期の涼しさが、独独の柔らかさを育てるからです。

名寄盆地の中央に位置し、年間の寒暖差が60度以上という気候風土のおかげで、農作物は糖度を増し、病害虫が少なく、他府県に比べて農薬の使用も少なくて済みます。

安全でクリーンな農産物にその魅力の原点があるようです。

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