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新千歳空港「冬」です。【新千歳空港観光貸切タクシー】
新千歳空港「冬」です。『新千歳空港観光貸切送迎個人チャータータクシー』
おはようございます。☀🙋❗
今日は悪天候になると予報が出ていたので早めに新千歳空港に到着しましたが、何と悪天候で新千歳空港は、飛行機飛んでません。
欠航続出、私の受ける予定便も欠航になりました。
お客さんは、便を変えて新千歳空港に向かうと言ってるので、そのまま新千歳空港で待機になりました。
只今新千歳空港は雪から雨に変わりましたが、相変わらず風が強いです。新千歳空港内も人で人で大混雑です。😵😂
千歳市
JR千歳線、新千歳空港、国道36号線、北海道縦貫自動車道、と交通網の張り巡らされた千歳市は、他市町村からも注目の目で見られている自治体で、人口は約9万6千人を超える勢いで増加し、中堅都市として着実に発展を遂げています。
製造工場の誘致、新興住宅地の造成、マンション、ビル建設と日夜、人の動きが激しく、今後の発展が益々、期待されています。
ところで、以前から千歳と言えば自衛隊の街というイメージが強く、事実、陸上自衛隊7師団と2つの駐屯地、航空自衛隊第2師団が駐屯しています。
千歳は大正15年、飛行機が見たいと言うたったそれだけの思いで、千歳村の住民の奉仕と汗によって面積約10ha、長さ約108mの滑走路を20日間という短い期間で作ったと言います。何とそれが千歳飛行場の始まりでした。
昭和14年10月、千歳海軍航空隊が開設され、悪夢のような戦争の時代から、終戦を迎えた昭和20年10月、今度は連合軍の米軍が進駐するという事態が起きました。
戦後、平和を願う千歳の街も、米軍の進駐は大きく街の様子を変えてしまいました。
朝鮮動乱が起きたのは昭和25年、その翌年5月、アメリカのオクラホマから米軍が新たに12000人も進駐し、皮肉にも戦争がこの千歳に好景気をもたらしたのです。
昭和26年9月、千歳飛行場は北海道空港に名を改め、同年10月、千歳~羽田間に日本航空が就航、昭和29年、陸上自衛隊が駐屯することとなり、現在に至っております。
時は流れ、昭和33年市制施行、昭和38年、千歳空港ターミナルが完成し、空港の街として新たな歩みを始めました。
飛行機も大型化の時代を迎え、プロペラからジェット機へ大きく変化を見せました。
昭和45年、米軍のクマ基地が閉鎖となりました。(完全撤退は昭和50年6月)昭和20年9月アメリカの軍用機で数人の将校が千歳に来てからおよそ30年間、進駐軍に大きな影響をを受けていた千歳は、昭和28年当時、世界一、悪の街と、海外の雑誌に載るほど荒れていたこともありました。
それも今は懐かしく、新しい街づくりが平和な中で進められてきました。
空港が整備されることによって、隣接する大地は臨空工業団地として造成され、新しい企業が誘致され、現在は産業都市として大きく飛躍しております。
新千歳空港
新千歳空港は空港整備法に基づく運輸省が設置・管理している第2種空港です。
また、レギュラー・エアポート(国際定期使用正規空港のこと)として航空路紙AIPに掲載され指定されています。
従来の千歳空港は防衛庁が設置・管理するところで、法律では共用飛行場です。
その上、オルタネート・エアポート(国際的使用代替空港)として、先程のAIPに掲載され指定されています。
空港面積は新千歳空港は約719ha、千歳飛行場は約973ha、両方合わせますと約1692haと、広大な面積です。
新千歳空港のA滑走路:延長3000m、幅60m
新千歳空港のB滑走路:延長3000m、幅60m
千歳飛行場の東側滑走路:延長3000m、幅60m
千歳飛行場の西側滑走路:延長2700m、幅45m
新千歳空港は航空輸送の需要の大幅な伸びと、国際航空網の新たな開発に対処できるように、千歳飛行場の南東に隣接する約719haに3000mの滑走路2本と、新ターミナルを備えた民間機専用の第2空港で、年間1800万人のお客様が利用する国内有数の空港です。
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