北海道観光個人タクシー高橋の中富良野町『ファーム富田ラベンダー』です。
凄く良い天気です。
外にいるだけで、汗が吹き出します。😱☀😵💦
中富良野町に有る、ファーム富田です。ラベンダーが一番良い時です。
それにしても暑い😱☀😵💦です。
北海道の人には耐えられない気温になって来ました。👋😃☀
ラベンダーはどうして有名に?
何ゆえラベンダーがこれほどまでに有名になったのでしょうか。
それは昭和50年~51年、2度にわたって国鉄のカレンダーに、ラベンダー畑が掲載されたことでした。
そのカレンダーに載ったラベンダー畑は、まぎれもなく「ファーム富田」だったそうです。
なだらかな斜面を覆う紫色の花のジュータン、匂うばかりの美しさに魅せられてか、以来、ファーム富田のラベンダー畑を一目見ようと、訪れる人は次第に増えていきました。
しかし、皮肉なもので、農業として成り立たなくなった頃から、ラベンダーの花畑は人気出始めたのです。
当の富田さん「今年でこのラベンダーも最後かも知れません。いい写真を沢山とって下さい。」などと、カメラマンや旅行者の方々にふと、もらしていたくらいでした。
「ラベンダー畑をつぶさないで作り続けてほしい」とか、「なぜ、止めるのですか」とか、質問攻めにあった事もあるそうです。
しかし、この頃は香料をとる目的で栽培していたラベンダー作りは、限界にきていたのです。
そんな中にも毎年、かれんだーや雑誌にラベンダーは掲載され、花の時期になりますと年毎に訪れる人の数は確実に多くなってきました。
富田さんは心からラベンダーを愛する気持ちから、その後も苦しいながらもラベンダー農家として栽培を続けました。
その内、観光客も増える、珍しさも手伝って仕事中にも質問されるので、農作業に支障が出るようになったのです。ラベンダーは刈り取る時期を外すことは出来ません。
かと云って花を見に来てくれたひとにも見せてあげたい。気持から一計を案じました。
それが次の内容を書いた掲示板だったのです。
「このラベンダーは人に見て頂こうと思って作っていた花ではないのです。私達家族の希望だったのです。ここ数年、世の中は変わってラベンダーはもう要らなくなりましたが、どうしてもつぶしてしまうようなことは出来ませんでした。苦しいいなかにも、この花の紫と爽やかな香りは私達に幸せを感じさせてくれました。北海道の冬はマイナス30度になります。そんな厳しい風雪に耐えてきたラベンダーです。どうかあたたかい気持ちで見てやって下さい。」と書いて畑の一角に立てたのです。
その後も様々な方があいもかわらず富田さんの畑を訪ねては写真を撮り、花に見入って感動を胸に秘めながら大勢の人達が帰っていきました。
そんな中に原産地の南フランスでラベンダーをみたことのある人が、「畑をつぶさないで、頑張って下さい!」
と励ましてくれ、ポプリやサシェ(匂い袋)の作り方を教えてくれたりと、富田さんのラベンダー作りに声援を送ってくれる人が増えていったのです。
※ポプリ 芳香を楽しむため、乾燥させた各種の花弁や香料を混ぜたものをいう。
※サシェ 匂い袋など、花弁を詰めて袋ものをいう。
元気だった母親の協力を得てポプリやサシェを作ってもらい、それを訪ねて来る方が記念にと買っていく、又作る。農家の庭がいつの間にか土産店に変わっていったという、思いがけない展開を始めていました。
農閑期には家族で楽しみながらポプリを作り、サシェを作ったそうです。
こうして現在のファーム富田の基礎が作り上げられていきました。
富田さんはこのファームを訪ねて来る人々を観光客とは言いません。
富田さんと同じように花が大好きで、わざわざ遠方からラベンダーに逢いに来て下さる方たちを「花人」と呼んでいます。
花人と 呼ぶ友きたる 今年また
暑き夏空 花むれ畑 詠み人 紫陽花
此方はファーム富田彩りの畑です。😃✌🚕🚕🚕
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