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泊村 情報一覧
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泊村
後志支庁の日本海に面する漁村・泊村です。
この村はかつては漁業を中心とした村でしたが、現在は北海道で最初の原子力発電所が建設された村として注目されております。
北緯43度03分41秒、東経140度30分10秒に位置し、面積82平方km、人口約1750人です。
アイヌ語の「ヘモイトマリ」より転化して「泊」と名付けられましたが、ヘモイとは「鱒」、トマリとは「港または、入江」の事で、「鱒を寄せる入江」の意味です。
この村に二代目・田村景豊・新助なる和人(近江の国・愛知郡柳川村の豪族)が漁場の調査で訪れたのが文禄3年(1594年)、その後、慶長6年(1601年)、漁場開拓団・両兵組(田村の一族)が泊に本拠を構え神恵内村川白まで漁場を調査し、2年後には津軽の国・鯵ヶ沢から漁夫を雇い入れ、アイヌ人を使役して漁場の経営を本格的に始めたのが、この村の漁業の始まりだった様です。
しかし、彼らは定住せず、毎年鰊の漁期になると訪れ、漁が終わると松前城下や支店のある鯵ヶ沢に引き上げていたと申します。
この村に定住するものが現れたのは1800年以降の事です。
さて漁場として栄えていたこの村で、安政3年(1856年)4月、忠蔵という漁夫が茅沼で石炭を発見した事から、トマリは世に注目される様になり、その後、幕府の手によって炭鉱の調査や試掘、本格的な掘削が始まりました。
明治維新を迎えると石炭は益々注目され、茅沼の坑口から海岸まで日本初の鉄道が敷かれた事は、意外と知られておりません。
また、場所請負制度が廃止され、自由に漁業が経営出来る様になりますと大勢の人々がこの村に移り住み、明治15年4月戸長役場(泊・盃・興志内)がおかれました。この年が泊の開基元年に当たります。
その後、大正12年4月、一級町村制施行によって現在の泊村が誕生したのです。
400年に渡る漁業で目覚め、黒いダイヤとまで言われ持てはやされて来た石炭(昭和39年閉山)の町・泊村は、今、全く新しい人類の生み出した原子力というエネルギーの一大拠点として歩んでおります。
漁業関係も栽培漁業センターを建設し、採る漁業から育てる漁業(ウニ・アワビ・ホタテ・ヒラメ・サケ)へと方向転換を図っております。
石炭に変わるエネルギーの原子力は村に多額の固定資産税が入り、発電所建設の法に定められている交付金(総額48億6千万円)による村づくりが着々と進められ、約1750人の村は新しくよみがえった感が致します。
また、積丹半島の西側に位置している泊村の海岸線はカブトラインと呼ばれ、シンボルのカブト岩を始め、マウンテンゴリラ岩や弁天島など奇岩怪石が多くの伝説を生んでおり、これらの地域が昭和38年、国定公園・ニセコ積丹小樽海岸に指定されました。
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