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国道40号『旭川常盤ロータリー』です。【旭川での観光タクシー】
北海道旭川での観光貸切送迎ジャンボタクシー、北海道観光個人タクシー高橋の国道40号旭川常盤ロータリーです。
北海道旭川市常盤通1丁目に有る、ロータリー交差点です。
このロータリーは、国道40号を含む6本の道路が分かれています。
ロータリーの中央部には広場があり、シンボルタワーが立っています。
1936年(昭和11年)に東京以北では初めてのロータリー交差点として建設されました。
建設当時はロータリー状の交差点だけが設けられ、中央部のシンボルタワーはまだ存在していませんでした。
このロータリー交差点が完成する以前には、ロータリー交差点がある場所は牛朱別川が流れている場所であったが、たびたび氾濫や洪水が繰り返されており、その被害に悩まされていました。
その当時は、常盤橋という橋が架かっていましたが、その後1932年(昭和7年)に洪水の多い牛朱別川への対策として切り替え、埋め立て工事が行われました。
この埋め立て部分が現在の常盤ロータリー交差点のある場所になっております。
建設当時の名称は常盤広場と言っており、現在のように広場を中心として円形の車道が設けられていたが、中心に旭橋方面を通過する線路が敷かれていて、1930年(昭和5年)に開通した旭川市街軌道師団線の路面電車が走っていました。
1950年(昭和25年)に「北海道開発大博覧会」が開催されました。
旭川市内でも常盤会場が設けられ、博覧会を記念してロータリー交差点の中心部に鉄塔が建設されました。
当時は「平和塔」という名称で、塔の下部には路面電車が通過出来るように設計されていました。
電車が通過する部分の真上に円盤状の屋根がついたデザインの鉄塔でした、現在のようなオブジェは無かったようです。
その後1956年(昭和31年)6月9日に師団線が廃止となり、それに伴い平和塔も解体されました。
1985年(昭和60年)、現在ある高さ35m、幅6mのロータリシンボルタワーが竣工しました。
鉄塔の上に建てられて銀色のオブジェは、氷や雪、氷柱に代表される旭川の自然を表現したものとなっております。
2000年(平成12年)から「あさひかわ街あかりイルミネーション」の一環として中心のシンボルタワーから広場の円周へ向けて、放射状に電球が取り付けられました。
以降、冬期間は緑橋通りからロータリーを通過し旭橋に至るまで、道路沿いに並ぶ木々やシンボルタワーに毎年照明が取り付けられております。
また、国道40号両方面と常磐公園方面の出入り部分にには歩行者用信号が設けられていますが、ロータリーから出る車については、自動車用信号が赤であっても横断歩道に歩行者がいなければ横断歩道を通過する事ができます。
ロータリー出口側の道路上に停止線が無いためこのような状態が長年にわたって行われています。
買物公園へ向かう道路は「北海道音楽大行進」の際、宮下通まで行進する音楽隊のスタート地点となることがあります。
近隣には道北経済センター(旭川商工会議所)、常磐公園(旭川中央図書館、旭川市公会堂、上川神社頓宮)などがあります。
中央の広場は3つの通路があり、緑地となっています。
ロータリー周辺からこの中心部へ渡る横断歩道などはありません。
また、中央のシンボルタワーは関係者のみが立ち入りできます。
たわーの上部には照明灯の他、現在の時刻と気温を表す電光掲示板が取り付けられております。
また、冬になると照明部分から電球の並んだ線が放射状に広場へと取り付けられて、イルミネーションを楽しむことができます。
2000年(平成12年)1月にはロータリー商店会が発足し、常盤ロータリー周辺の活性化に努めております。
旭川市
旭川市は人口約34万人、札幌市に次ぐ北海道第二の都市です。
歴史は比較的に新しく、明治24年、屯田兵によって本格的な開拓が始まりました。その後、旧陸軍の北鎮第七師団が置かれことから、戦前までは軍都としての性格が強かったところです。
しかし、今では上川の米どころをバックに、商・工業も加わって、めざましい発展を続け、この地方の政治・経済・文化・交通の拠点となっています。
また、観光資源にも恵まれている街で、大雪国立公園の玄関口で有る事はもちろん、市内には優佳良織工芸館・井上靖記念館・美術館・アイヌ記念館など、御覧いただきたい施設が沢山そろっています。
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