伊達紋別駅

伊達市の代表駅であり、1925年(対象14年)8月20日、国有鉄道長輪東線(現在の室蘭本線)の駅として開設されました。

1940年(昭和15年)12月15日に胆振縦貫鉄道(後の胆振線)が開業し、同線との分岐駅とたりました。

1986年(昭和61年)11月1日に胆振線が廃止された後は、室蘭本線の単独駅となっております。

駅名は当駅の所在する地名が由来であり、伊達の名前は伊達成実の後裔である亘理伊達氏当主・伊達邦成とその家臣団が1870年(明治3年)に入植したことから付けられました。

1900年(明治33年)に伊達村となる前の地名は紋鼈(もんべつ)であり、字を紋別と変えて伊達と併せ駅名に採用しました。

伊達市

雪も少なく、気温も温暖なことから、北海道の湘南といわれています。

土も良く肥えていて、農産物にも恵まれ、近郊の室蘭・苫小牧方面に出荷されています。

伊達開拓

この町は、明治3年、仙台藩の一門で、亘理の領主だった伊達邦成の一族と、その家臣たちによって開拓されたことから、伊達と名付けられております。

江戸時代の終わりごろ、日本は開国をせまる派と、これまでの幕府を守る派との間で血を流し合いました。

その結果、天皇を中心とする統一国家として、明治を迎えたとき、戦いに敗れた東北各藩のお侍は、石高を減らされ、生活が成り立たなくなってしまったのです。

伊達邦成率いる亘理藩も、それまでの2万4千石(2万4350石)から58石(58石5斗)に減らされてしまいました。

それならば、いっそ故郷を捨て、遠く離れた北海道で、北の守りと開拓をしよう、と考えました。

そして、家老の田村顕允の努力が実って、新政府から許しが出て、明治3年から14年まで、9回にわたって2681人の人たちが、不安と期待を胸にこの地へ移り住んだのです。

しかし、待ち受けていたのは、昼なお暗い原生林と荒涼たる原野ばかり・・・。

その苦労は、並たいていのことではありませんでした。

邦成は、開拓資金に家財のほとんどを売り払い、自分はもちろん、母も妻も家臣といっしょに、汗まみれで畑仕事に励んだのです。

やがて苦労はむくわれ、ほかに例を見ないほどの1大農村を築きあげましたが、殿様みずから先頭に立って、最後まで開拓して、成功したのはめずらしく、この伊達市と、兄の邦直が開拓した石狩の当別町だけです。

市内には、町の歴史を伝える伊達開拓記念館がつくられ、毎年8月には、鎧・兜に身をととのえ、当時のようすをしのぶ「武者まつり」が行われています。

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