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旭川空港・観光貸切チャータージャンボタクシー
旭川空港・観光貸切送迎ジャンボタクシー『北海道観光貸切チャーター個人髙橋タクシー』
旭川空港です。
旭川は盆地になるので、夏は暑く、冬は寒い、寒暖差の大きいところです。
暑い☀😵💦🚕少し早く到着したので、何時もの様に徘徊(^3^)/いや~暑い🚕🚕🚕
レルヒさんも暑そうです。
旭川空港
道北の交通の拠点として朝夕、ジェット機が飛び交い、観光地富良野・美瑛へのアクセスが大変便利になり、大都会・東京からわずか1時間50分もありましたら、北の大地に到着出来るのですから、最近は益々空港利用者が増加の一途をたどっています。
ジャガイモの花が真っ白に咲いています。😃✌🚕
ジャガイモの話
北海道を代表する味覚、ジャガイモについてお話しいたしましょう。
ジャガイモの原産地は、アンデス山脈で、原住民の主食なっていたことは、インカ帝国が、ジャガイモのの形をイメージした、見事な陶芸品を残していることからも想像されます。
このジャガイモを、インカ帝国を征服したスペインの兵士たちが、ヨーロッパに持ち帰ったのは16世紀後半で、初めは観賞用植物として栽培され、パリの貴婦人たちが盛装したドレスの胸に、ジャガイモの星形の花を一輪飾り、夜会の注目を浴びたというお話があります。
日本には、今から約410年ほど前、慶長3年(1598年)に入っていますが、初めはやはり珍しい花として観賞用に栽培されています。
食用として利用されるようになったのは18世紀からですが、これにはフランスのルイ16世の有名なお話しがあります。
小麦からデンプンをとっていたフランスでは、ジャガイモを広く普及したいと考え、王様は、公園にこの花をたくさん植えさせ、わざと昼間だけ、ものものしい監視をつけたのです。
これを見た農民たちは、公園の様子をうかがい、「なにか知らないが、厳重な見張りから察すれば、よほど結構なものに違いない」と思ったのでしょう。
そして公園は夜ごと荒らされ、ジャガイモは、あっという間にフランス全土に広がっていったのです。
「監視」は農民の好奇心を誘う「おとり」だったわけで、ルイ16世は人間心理を逆手にとって、ジャガイモの普及に成功した、というお話しです。
ジャガイモは、涼しい気候の北海道で、早くから栽培され、開拓に入った人たちにとって貴重な主食でした。
その後、米に主食の座をゆずっても、デンプン、食用、食品加工など、その重要性は少しも変わらず、品種改良の試みが続けられました。
現在の代表的な品種としては、男爵、紅丸、メークイン、農林一号などがあります。
男爵いもは、明治40年頃、函館ドックの社長をしていた川田竜吉男爵が、アメリカから種いもを輸入し、函館近くの七飯で栽培されたのが始まりで、男爵が作ったことからこの名がついております。
紅丸は、おいもの肌が赤く、形はだ円形ですから「紅丸」の名がぴったりです。
デンプン含有量が抜群なので、デンプンの原料に使われております。
メークインは、近年、男爵いもの強敵として登場した品種で、男爵いもより煮くずれしないというので、関西方面に人気があるよです。
ところが、このジャガイモは、どんなに低温貯蔵しても4月、5月になると芽を出して腐ってしまいます。
そこで考えだされたのが放射線(コバルト60)をあて(照射)、発芽を安全で確実に防ぐ方法です。
昭和49年から、この照射ジャガイモが出回るようになり、おかげでいつも新鮮なジャガイモがいただけるようになったのです。
丘の上にある、空港なので景色が綺麗ですね~。
旭川空港は昭和41年、旭川市西神楽と東神楽町に至る幅30m、長さ1200mの滑走路を持つ空港としてスタートしたのが始まりです。
最初は国産機のYS11型機が使用されていました。
やがてジェット機時代に入り、昭和57年11月、21億円投じて滑走路2000mとなり、ジェット化されA300が飛行するようになり、ターミナルビルも装いを新たにオープンしました。
時代は更に進み、富良野・美瑛の観光ブームが訪れ、利用者は日を追って増加しております。
そこで、道北のアクセスを一手に担っている旭川空港の滑走路の延長、ターミナルビルの拡張工事が始まりました。新滑走路は平成4年着工し、平成9年2月共用開始となりました。
2000mの滑走路が2500mに延長されました。
道内で2500mの滑走路を備えている空港は新千歳空港、函館空港、帯広空港、に次いで4番目です。後に釧路空港が2500mの滑走路を平成12年10月完成しましたので道内5番目となりました。
2500mの滑走路が供用開始によって、大型機B777(通称・トリプルセブンと呼ぶ。376人乗り)の通年運航が可能になり、今後地元では輸送力のアップや新千歳空港の代替空港としての役割が期待されています。
旭川の四季
旭川といえば、冬の寒さで有名なところで、古いお話になりますが、明治35年には、マイナス41度まで下がった事も有ります。
最近はこのように厳しい寒さは有りませんが、それでも1月から2月にかけてはマイナス10度以下の日が続いたり、時にはマイナス20度以下に下がる事も有りますから、本当に寒さの厳しいところです。
天気予報などで、よく真冬日という言葉が使われますが、此れは1日中、気温が0度未満の日のことをいい、旭川では、平均して年間80日以上にもなります。まさしく冷凍庫の中の数カ月です。空気はピンと張りつめ、吐く息は白く、樹々の枝には真白な氷の花が咲きます。
こんな朝は「今朝はずいぶんシバレルね」という挨拶が交わされますが、寒いとか冷たいとか言う言葉では間に合わず、シバレルでなければ実感がともなわないのです。
でも、この寒さの冬を、スキー・スケート、そして冬祭りなど、人々は大いに楽しんでいます。雪は4月迄残りますが、もう、その頃にはコブシの花が咲き、5月には桜もその美しさを競い、近郊の公園は花見の人々で賑わいます。
しかし、北国の春はあっという間に過ぎ、ビールの一番美味しい夏がやってまいります。7・8月の気温は30度を超える事も有りますので、涼しさを求めて来られた本州のお客様はびっくりします。
やがて夏も終わりを告げ、空も青く澄み渡る9月、近郊の田んぼでは稲穂が段々頭をたれ、秋を感じます。そして10月、、街路樹のナナカマドの色づきも鮮やかになったころ、大雪の山々は早くも雪のヴェールにつつまれ、人々は冬の支度に忙しくなります。そしていよいよ冬将軍の到来です。
また、ターミナルビルも現在のビル隣に3階建てビルが増築され、平成11年12月共用開始となりました。
古いビルも改修工事が行われ平成12年5月に完成し、両方のビルの機能は今までの2倍になり、年間180万人の利用に対応出来る空港ターミナルビルが誕生しました。
なお、駐車場の一角に「スキーの父」と仰がれた「レルヒ中佐」の銅像が建てられており、スキーを左手に、右手には一本杖を持っており、越後の高田に次いでここ旭川の軍人にスキーを指導した方として有名です。
大雪山国立公園
大雪山国立公園は、昭和9年、阿寒と共に、国立公園に指定されました。
その面積は23万haで、神奈川県とほぼ同じ広さになります。
もちろん、日本で一番広く、原始を思わせる自然美を誇る一大山岳公園です。
明治・大正期の文豪家大町桂月は、数多くの紀行文を残していますが、大雪山については「富士山を登って山岳の高さを語れ、大雪山を登って山岳の大きさを語れ」と、そのふところの深い雄大さをたたえています。
この桂月の言葉には、彼自身が大正10年に大雪を縦走した時に、下山が遅れて遭難騒ぎを引き起こした実感がこもっていて、それ以来、大雪山の名は全国に知られるようになったのです。
大雪山国立公園は、沢山の峰ばかりではなく、高原あり、火口あり、沼ありと変化にとんでおり、足元をはうように流れる雲や霧、真夏でも涼しさを誘う白い雪渓(残雪)、緑のじゅうたんを敷き詰めたようなハイマツの群落、そして、可憐に咲ききそう高山植物のお花畑など、自然があふれています。
なお、黒岳と旭岳にはロープウェイがあり、気軽に登山気分が味わえます。
展望デッキへ行って見ました。😃✌飛行機到着してないのでガラーンとしてます。🚕🚕
家具の町・旭川
旭川は札幌に次いで北海道で2番目に人口の多い街と言われていますが、その差は150万人と大幅で、ここ何年かは約33万人代の人口は動いていません。
それでも北海道のリトル東京と札幌を呼ぶなら、旭川は道北のリトル札幌で、道北に住む人々の生活の拠点であり、経済・文化の発信地として歩んでおります。
ところで、旭川をはじめ、東神楽町、東川町の産業はと申しますと、何と言っても「木工家具」の生産です。
旭川の地域で生産されている家具の特徴は自然のままの無垢材をふんだんに使い、ナチュラルな味を醸し出す独特の個性を守り抜いている事にあります。
重量感・高級感があり、道内より関東から西で知名度が高いそうです。
それは家具に使われている素材が張物でなく、木材そのものであり、その為に高級感が伝わってくる事に、本州のこだわり派は理解を示し、旭川家具は確りとした製品を出荷することで、お得意様を獲得しているのです。
例えば東神楽町の匠工芸さんは東京・帝国ホテルがお得意先の1つだそうです。
ユーザーの目はとても厳しく、すでに17年ほど前から備品など納入していますが、最初は木目の選び方や手触り、デザインなど「帝国仕様」と言うものがあって、それはそれは厳しい商品検査とテストをされたそうです。「ビルの8階からイスを落として強度を試された」とか。
しかし、その厳しいテストにも合格し、商品の出荷は今も続いています。
この会社の社訓「世に不運は無い。すべて試練である」と、工場入り口に掲げています。
また、この会社ではナラ・タモ・ニレなど大雪山系の自然に育まれた道産材の使用率が8割を超えており、関東・関西へ主に出荷しています。
そもそも旭川家具の始まりは?
と申しますと、明治32年、旧第7師団の兵舎建設や家具・建具製造に携わった技術者らがこの街に留まり、家具づくりに励んだ事によります。
本格的な地域産業に発展したのは戦後の事で、昭和45年ごろから全国市場に登場し、アメリカにも進出を果たしています。
全国的にみましても福岡県の大川、広島県府中などと並び、旭川地域は「全国5代家具産地」の1つに数えられております。
旭川市永山に家具センターが設けられております。
そして平成12年10月、旭川市と近郊の創作家具職人でつくる旭川・工房家具の会「北の風」が、神戸市中心にある「ハウジング・デザイン・センター神戸」で家具の展示と販売を始めたそうです。
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