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祝津パノラマ展望台『冬』周辺観光案内。【北海道小樽観光個人タクシー】
祝津パノラマ展望台『冬』周辺観光案内です。【小樽個人Sightseeing TAXI高橋】
祝津パノラマ展望台
恵まれた自然景観、雄大な日本海の絶景を一望出来て、夕日の名所としても有名です。
トド岩、冬になると野生のトドが、この岩に良く乗っています。
此方は、ホテルノイシュロスと赤岩方面です。遠くに積丹半島も見えます。
遠くに、積丹半島も見えております。
小樽祝津追分記念碑です。碑面には「忍路高島およびもないが、せめて歌棄、磯谷まで」と、北海道を代表する民謡「追分節」の一節が刻まれています。
小樽市祝津、小樽観光を代表する景勝地で、北海道の文化財に指定されるニシン御殿を始め、ロマンチックな日和山灯台、自然の海をそのまま生かした小樽水族館、白いヨットの浮かぶマリーナなどが有ります。
此方は、札幌方面です。
高層ビルも見えてます。
ニシン御殿
鰊御殿は以前、積丹半島の泊村に有った大網元、田中家の住宅です。
白い壁と、黒い柱の美しいコントラスト、大屋根中央の「煙だし」等、まるで天主閣のようです。
泊村田中家の番屋で昭和33年にここに移築されました。
「番屋」とは、北海道独特の呼び名で、もともとは、松前藩時代の漁場の支配所で、運上屋の出先機関でしたが、のちに、ニシン漁を行う住まいを指すようになりました。
そして、この番屋が中心になって、網蔵や倉庫が幾棟建っていたのです。
この田中家は、積丹半島屈指の大親方で、沢山の漁場を経営し、漁獲高は、実に1万石(7500t・4000万匹)を誇っていました。
全盛期には120人の漁夫達が寝起きしていたそうです。
その田中家が明治24年から、7年掛かりでつくり上げたのがこの建物で、ほとんどが、北海道産のタモ・トドマツ・セン等の原木、3000石(一石は0.28㎥)を使っております。
これを仮に15坪のマイホームを建てたとすると、40戸は出来ると言う事です。
大屋根の中央の「煙だし」も、天守閣のような形をしていますが、中に入って、吹き抜けの天井を仰ぎますと、1尺から2尺(30~60㎝)も有る荒削りの角材が、ふんだんに使われていて、ニシン場の親方が、いかに裕福であったかが、おわかり頂けると思います。
ニシン御殿の後ろに有る、日和山灯台は、映画「喜びも悲しみも幾年月」のラストシーンに、登場して、全国に紹介された灯台です。
歌の一節のように、「沖行船の無事を祈って」建っています。
日和山灯台は、明治16年に建てられた古い灯台で、北海道では根室の納沙布灯台に次ぐ2番目のものです。
最初は6角形の木造で、白一色でしたが、現在は、赤白の代表的な姿に生まれ変わり、15万カンデラの光が、35㎞の海上を照らしております。
祝津港マリーナ、レジャーボートのメッカになっています。
船揚げ場は、ヨット80艇、モーターボート30艇が収容できるジャンボサイズで、シーズン中、青い海に浮かぶ白いヨットは、見ているだけで爽快です。
旧青山別邸、祝津には、ニシンの全盛期をしのばせる建物が、いくつか残っておりますが、青山別邸は、その中でも代表的なものの1つです。
瓦屋根の豪壮な建物で、外観の至る所に木彫りがほどこされ、内部も「北の美術豪邸」と呼ばれるにふさわしい、素晴らしいつくりになっております。
青山家は安政6年(1859年)からの網元ですが、全盛期の頃には、漁場の数10、漁船百数十、漁夫300人をかかえていたそうです。
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