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『秩父別温泉ちっぷ・ゆう&ゆ』です。
北海道観光個人タクシー高橋の秩父別町『秩父別温泉ちっぷ・ゆう&ゆ』観光案内です。
秩父別町に有る、秩父別温泉ちっぷ・ゆう&ゆに行って来ました。😃✌🚖🚕🚖😌♨🍶
ここには、緑のナポリタンなる物が有りました。
ランチでご賞味して下さい。
美味しいよ‼😍🎶🍴🈵😍
秩父別温泉・ちっぷ「ゆう&ゆ」
平成2年2月、保養センター・ちっぷ「ゆう&ゆ」がオープンしました。
ここは宿泊する事も出来ます。また、宿泊研修施設の「おおとり」も併設されております。
昭和63年、泉温30度のナトリウム塩化物泉(旧泉名・弱食塩泉)を掘り当てました。
効能は神経痛・筋肉痛などの痛みや皮膚炎・疲労回復と広く、秩父別町民や近隣市町村の来館者で賑わっております。
秩父別町
明治34年に深川村より分村し、「秩父別」と命名されました。
地名はアイヌ語「チクシュぺツ」からで(通路のある川・船の通る川)など意味も様々です。
深川市と同じ北空知地区に位置し、標高40m~50mの平地が広がる農村で、明治の開拓期から先人の努力によって築かれた農業がこの町をささえております。
平成4年、秩父別の米は「日本の米百選」に選ばれ、一等米100%を達成するなど、北海道でも有数の品質を誇る米の生産地です。
この町は明治22年に雨竜原野5万haが華族組合農場として貸し付けられた時の地域に属していました。しかし、農場は解体し、この地域は華族組合の一員であった徳島の蜂須賀のお殿様が治める農場地域に入る事となりました。
その後、秩父別地域は未開拓地であったことから一旦国に返却され、屯田兵村として開墾する事となったのです。
屯田兵が明治28年200戸、翌明治29年200戸が入植して開墾がはじまりました。
入植当時は、稲作は禁止されていて、入植者は畑作で生計をたてていました。
しかし、近隣ですでに米の試作に成功していることから、米を作りたいという思いは捨てがたく、明治29年、入植者の植田栄太郎を始めとする数人が米の試作を手掛けて成功し、明治31年頃には急速に稲作が普及していきました。
造田と共に大規模な灌漑工事が行われ、大正の初期に整備が進められ、以後、町は美田が広がる農村に発展しました。明治38年に174haであった作付面積は現在2900haとなっております。
平成11年に完成したお米の貯蔵施設は冬の厳しい寒さを取り入れ、自然冷気貯蔵する丸ビンと呼ばれるタンクにモミを貯蔵し、食味の良い米に乾燥調整したものを「ちっぷべつの米・いなほの鐘」の名前で販売しております。
その他、ブロッコリー・カボチャ・トマト・メロン・イチゴ、そして花き生産に力を注いでおります。
また、トマトジュース「あかずきんちゃん」は、トマトジュースが苦手な人でも、飲めてしまうという優れもので、添加物は0.3%の塩だけで、天然のトマト味で、道内外のデパート・スーパーに並んでおります。
泉質:ナトリウムー塩化物泉
(弱アルカリ性低張性温泉)
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