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『北竜町ひまわりの里』です。【北竜町観光貸切ジャンボタクシー】
北竜町観光貸切個人チャータージャンボタクシー高橋の『北竜町ひまわりの里』観光案内です。
北竜町に有る、ひまわりの里です。
北竜町ひまわりの里はどのようにして栽培されるようになったのでしょうか。
昭和54年7月、全道農協組合長の海外研修に当時の北竜町の組合長から「参加して勉強をしては?」という一言で、農協職員であった四辻進さんは、その研修に参加しました。
旧ユーゴスラビアの上空から黄色いジュータンを敷きつめたような大地が広がっている中に、乗っていた飛行機が着陸しました。
飛行機から降りると、その黄色いジュータンの正体は一面のひまわり畑だったのです。
余りの美しさに驚きと感動を覚え、まるで自分がチョウになって空から舞い降りてきたという感じがしたそうです。
現地視察の時、ひまわりをこんなに沢山栽培して何に使うのか質問したところ、食生活が動物性の食用油が多く、良質な植物性油に変えなければコレステロールがたまり健康を害するということで、当時ユーゴスラビアではひまわりが健康食品を生み出す大切な植物として栽培していた事が解ったのです。
確かにリノール酸・ビタミンEなどを含む栄養価の高い植物であり、日本に戻ってからの海外研修報告書に記載しました。
当時日本でもすでに健康食品ブームの最中でしたから、ひまわりを活かせないかどうか、ひまわりの栽培・製油の試算をなどしてみましたが、中々現状では採算が合わないという結論に至ってしまいました。
その年の秋、折しも農協婦人部では自給自足により、家族の健康を守る運動で食生活の改善をしようとしていた最中だったのです。
相談を受けた四辻さんは旧ユーゴスラビアで目にしたひまわりについて話をしました。
「家族の健康の為にはひもわりは最高の食べ物であるが、ただ商品としては採算が合わない。でも1戸で1aずつ植えて皆の手で乾燥・採油をする事は大変意義がある」と申したそうです。
早速、翌年の昭和55年から家の周りにひまわりを植える事にしたのです。
食生活の改善と環境美化にもつながり、422戸の農協婦人部によって「1戸1a作付け運動」が開始されました。
以来、作物として年を追うごとに全町に作付面積が拡大、町内のあちこちで一面の黄金の花の咲き競う風景が見られるようになりました。
そしていつしか、この町を通過するドライバーや同乗者の話題に上がるようになったのです。
「米しか作れない町」という厳しい農業情勢の中で、町民に明るい明日への希望を与え、ひまわりがマスコミなどで紹介され、今では北海道の夏の風物詩となり、他市町村からの見学や、北竜町のひまわりに魅せられて、観光という名目だけでひまわりを植えるというライバルが現れるほどの勢いで、ひまわり観光として一躍脚光を浴びる町となりました。
こうして現在の「ひまわりの里」の足掛かりが出来たのです。
現在ひまわりの里のひまわり畑の面積は23.1haで約150万本のひまわりが栽培されております。
昭和57年、北竜町の町花を「ひまわり」制定。
ひまわり商品開発・栽培研究・商品加工の為の機械導入。
昭和62年、第1回「ひまわりまつり」開催。
平成3年、「ひまわりの里」、6haを造成。
(地主が高齢に加え、病気になり、畑の管理わ町がする事となり、町民などの協力のもとに、観光客を受け入れる為の固定のひまわり畑を造成し、「ひまわりの里づくり」を始めました。)
平成2年からひまわり畑のひまわり迷路が実施されています。
迷路の形は「ひまわりの里」となっており、その距離は1.5kmあります。(以来、毎年迷路が作られ、大人から子供まで大人気です。)
平成3年、ひまわり街路灯100基設置。
北竜中学校が「世界のひまわりコーナー」の造成を開始。
ひまわりの里に隣接している学校ということもあって、世界のひまわり33種の栽培を手掛ける「ひまわり委員会」を中学生が設立し、ひまわりまつりの観光ガイドを努め、栽培と観光客のエスコートに一役かうというユニークな参加をしております。
平成5年、町と農協で「ひまわり作付助成」を始める。
平成6年、第2回「美しいいむら景観コンテスト」で、北竜町が全国農協中央会長賞を受賞しました。(農水省など主催)
平成9年1月、甲州ぶどうと、ひまわりの茎のエキスを使ってひまわりワインを醸造し発売。
(ひまわりの花弁のような淡い黄金色で、かすかな辛みと苦みを感じるが、後になってほんのりと甘いぶどうの香りがする。)
平成11年、ひまわりの里のライトアップを始める。
平成12年、ひまわりの里、14.5haに拡大。
ひまわりの本数にして約725000本。
(機械を使って直下蒔きをする。専門家に依頼する。種はアメリカより輸入。油用と菓子用は種子が異なり、背丈や花の色など、外見では判断が付かない。)
太陽の恵みをいっぱい受けた大輪の花・ひまわりは、種子に栄養価の高い養分が含まれており、動脈硬化・高血圧・心筋梗塞などを予防するリノール酸・ビタミンE・必須アミノ酸・ミネラル類が豊富に含まれた健康食品なのです。
さらに種ばかりでなく、花びら(目に良く、風邪を治し、頭痛や体のむくみに効果がある)・葉(乾燥させてお茶のように飲めば解熱・健胃作用がある)・茎(気管支炎・消炎作用・尿路感染症などに使われる)・果皮(耳鳴り)・根(便秘・胃痛・利尿作用)など、ほとんどが漢方の薬用として使われています。
いずれもそのままか、乾燥させた後、水から煎じて飲むと効果があるそうですので、一度お試し下さい。
加工品は食用油・ナッツ・お菓子・蜂蜜・ラーメン・アイスクリーム・ワインなど20品目を越える商品開発がなされ、道内外で高い評価を受けています。
ひまわりは天候に左右されやすく、花輪(40cmにもなるものがある)が大きいために雨風に弱く、病気が発生しやすく、普通連作が効かず、花が大きいために土壌の養分を吸い取り土地が瘦せ細り、他の農作物に比較して生産性が低いなどハンディのある作物です。
しかし、ハンディがあればこそ、他の町が真似をする心配の無い、オンリーワンとして北竜町の顔となったと言われております。
北竜町の人口は約1960人で、雨竜川の河川流域に位置し、肥沃な土地と豊かな水資源は稲作を基幹産業とする農業の町として歩んでいます。
しかし、水田の転作で大きな転換期を迎え、ふとした事が切っ掛けで、「ひまわりの町・北竜」として全国に知られるようになり、今では北竜の至る所で見られるひまわり畑は、富良野のラベンダーと並んで、北海道の夏を彩る花の代表でもあります。
そして、広大なひまわり畑がNHKの連続テレビ小説の「すずらん」で、オープニングのタイトルバックに使用され、全国の視聴者からの問い合わせが殺到したほど、有名になりました。
それと共に北竜メロン・小玉スイカは道内有数の生産地となっています。
メインであるひまわりの作付面積は平成12年度は約100ha(油用90ha・ナッツ用10ha)で、全国一を誇っており、花は25cm~30cm、背丈は2m位になります。
ひまわりがこの町のシンボルであり、ひまわりの里を訪れる観光客は毎年増加の一途をたどっています。
このひまわりの里は毎年7月下旬から8月下旬までオープンしています。
最も見ごろの8月第一土曜日・日曜日に「ひまわりまつり」が開催されます。
シーズンを通してその数、20万人以上の観光客が訪れるまでになりました。(平成12年度は約265000人が訪れました。)
町を歩きますと「ひまわりの町」のイメージアップを計ろうと、ひまわりをあしらったものをよく目に致します。
商店・公共施設に取り付けられているひまわりの看板・ひまわりがデザインされた街路灯・高さ20mのひまわりの塔・役場と農協のひまわり時計・公衆トイレのひまわり壁画・ひまわりキャラクターの制定・ひまわりフォトコンテストの開催など目白押しです。
当然、町の各種パンフレット・交通安全旗・名刺・マンホールの蓋と今ではひまわり様々です。
「向日葵は 金の油を身にあびて
ゆらりと高し 日のちささよ」
と、前田夕暮れは歌っておりますが、フランス語で「ソレイユ」(太陽の花の意味)、漢字で「向日葵」「日回草」と書きます。
ひまわりの花は太陽の方に首を振るという俗説が昔から伝えられて来ましたが、実際は日の出る方角の東南ばかりを向いて動かないのが本当の話で、蕾が開く直前までは葉(ハート形)と茎は常に太陽を追うそうです。
葉はどれでも光が当たる様に、茎の廻を1回りするように少しづつずれて茎に付いています。
花が開いた後は東南を向いたまま動きが止まるようです。
「あなたは素晴らしい」という花言葉をもつひまわりは、「鳩」と同じようにこの世の「平和」「安泰」「信頼」「幸福」のシンボルであり、「明るさ」「陽気」「健康」「太陽」などをイメージする花で、太陽の花「ひまわり」と一緒にいれば必ず夢が叶うと信じてこの町の人たちは、僅か2週間(花の見頃)ほどしか咲いていない花を愛しているのです。
見かけは図体が大きく、可愛いいという柄ではないですが、見渡す限りのひまわり畑はファンタジックで、清涼感溢れる風景といえましょう。
ご存知、アメリカ映画のソフィア・ローレン主演の「ひまわり」の名場面とバックミュージックは、映画ファンに深い印象を与えたようです。
日本の気象衛星の名称であり、弁護士のバッジにひまわりが使用されていることからも、親しみのある花の代表である事に違いありません。
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