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野付半島です。【別海町】
野付半島が黒く長く延びております。
野付半島は、全長およそ28㎞、根室海峡に突き出した細長い砂嘴で、砂嘴としては日本最大のものです。
『北の天の橋立』とも呼ばれておりますが、本物の天の橋立(京都府)は長さ3.6㎞ですから、『北海の天橋立』は途方もなく、大きなスケールです。
半島のほとんどが平坦で、6mぐらいの高さしかなく、幅は狭い所で130mです。
エゾマツ・トドマツ・ナラなどの森林、ハマナスが咲き馬や牛が群れ遊ぶ砂丘の草原、サンゴ草におおわれる湿原などが点在し、その中ほどに『自然の墓場』といわれるトドワラがあります。
また、先端は釣針のように曲がっていて、竜神岬・野付岬の2つの岬を持ち、地図で見ますと、エビかミジンコのような形をしています。
そして、その足のような小さな岬が、静かな内海へ突き出し、何もない荒波の根室海峡と、好対象を見せています。
松前藩のニシン漁場として開け、のちに国後島へ渡る拠点となったこの半島は、当時、運上屋が設けられ、千島通いの弁財船で賑わったところです。
今も、雑草に埋もれたお墓があちこちで見られ、古い年号や会津・土佐・仙台など藩の名がわずかに読み取れるものがあります。
遠い故郷に思いを馳せながら死んでいった、国境警備の武士たちのものです。
尾岱沼
野付半島に抱かれた尾岱沼(野付湾)は、1mから3mぐらいの浅い海です。
この浅い海には、『アマモ』という水草が密生し、名物のエビをはじめ、カレイ・チカ・アサリ貝などの住家になっています。
冬には、この『アマモ』を求めて、たくさんのハクチョウが訪れ、また、氷に穴をあけて獲るコマイ漁も行われます。
水平線に浮かぶ国後島、その前に横たわる野付半島、夏は3角帆のエビ打瀬船を浮かべ、冬はハクチョウが羽根を休める尾岱沼、広さを売りものにする北海道でも、ここはまた格別で、北方的な風景を見せております。
しかし、夜は国後島から照らされるロシアのサーチライトが、岬の松の黒い影を浮かび上がらせる光景も秘めているのです。
尾岱沼でエビを獲るのどかな打瀬船の風景は、このあたりの風物詩のひとつです。
うたせ網という一種の底引き網を使ってエビを獲りますが、船の動力はヨットと同じように風を利用しています。
3枚の帆を風の強弱によって使い分け、風のない時は、竹竿で船をあやつり網を引きます。
『うたせ』とは、『瀬に網を打つ』という意味です。
この機械化の時代に何をノンビリ・・・と思うかも知れませんが、これは資源保護のためで、エンジンを使うのは、漁場への往復の時だけ、網の目も大きくして子エビを獲らないように工夫され、おまけに船に乗れるのは1人だけという、てっていぶりです。
(エビ打瀬漁は6月1日~8月14日、9月15日~11月30日間です。8月15日~9月14日までの一カ月間は繁殖保護のため休漁)
ホッカイシマエビ
ここで獲れるエビはホッカイエビという種類です。
頭から尻尾にかけて黒いシマがあることから、ホッカイシマエビとも呼ばれ、茹でると真っ赤に変身します。
サクよりやや小型です。
おもしろいことに、生まれた時は、全部雌雄同体で生まれ、満1歳を過ぎると性転換し1歳半でオスになります。
そして、2歳を過ぎると再度性転換し、2歳半でみんなメスになり、卵を生みます。
このように、性転換をするのは、エビ類ではホッカイエビなど、タラバエビ科の一族だけで、その謎は、まだとけないそうです。
コマイ
初夏から晩秋にかけての風物詩がエビ打瀬船なら、氷に穴をあけて行うコマイ漁は、冬の風物詩です。
コマイは『氷の下の魚』と書きますが、文字通り、根室海峡に張りつめた、厚さ20cmから1m近くもある氷に穴をあけて漁をします。
10ヵ所以上もの穴から網を入れて魚を獲る『氷下待ち網』という方法です。
長い時間ほうっておきますと、網が氷づけになってしまいますので、1日の漁が終わると、すぐ引き揚げてしまい、翌日はまた同じ作業を繰り返します。
風物詩とはいえ、働く人たちにとってはたいへんな仕事です。
コマイは、アイヌ語でカンカイとも呼ばれています。
タラ科の魚で、大きさは30cmぐらい、薄塩の味で干物にしたものが喜ばれております。
この野付半島は、日本最大の砂嘴です。
砂嘴といいますのは、土砂が堆積して堤防のような形に突き出した地形です。
海岸近くの海流は、岬を過ぎて入り江にさしかかると流れが分散され、急速に勢いがなくなります。
この時、海流によって運ばれてきた砂や小石なども海底に散らばってしまい、それが次第に積み重なり、長い年月をかけて細長く砂嘴に発達していくのです。
海の力は、ときには海岸を浸食し、破壊することもありますが、一方ではこのように立派な陸地を造ってくれるわけです。
この野付半島に残る龍神さまの伝説をご紹介いたします。
むかし、漁師の宗平という若者が、仲間たちと漁に出かけ、野付岬にさしかかった時のことです。
それまで穏やかだった海が、にわかに荒れ狂い、高波を受けた船は、仲間たちを乗せたまま海底へ沈んでしまいました。
1人だけ海に投げ出され、波間を漂っていた宗平は、現れた美しい乙女によって助けられました。
それから、どれだけの月日が流れたのでしょう。
夢とも現ともつかない日々が続き、2人は結婚の約束をかわすようになりました。
やがて宗平は、再び乙女のもとに戻ることを約束して、両親の許しを得るため、自分の村に帰って来ました。
しかし、そこに待っていたのは、許婚であった網元の娘との婚礼だったのです。
そして、新婚のめおとは2人で初漁に出るという村の慣習に従い、沖へ向かって船をこぎ出して行きました。
すrと、はるか野付岬の彼方から、波を逆巻いて、あの美しい乙女が現れました。
しかし、その姿はアッと言う間に龍に変わり、船を壊し、2人の姿は海の底深く消えてしまったということです。
それから、野付岬を通る船に、若い男女が乗っていると、必ず海が荒れ狂うので、村人たちの手によって龍神さまが祀られました。
今、この龍神さまは尾岱沼市街に移されているそうです。
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