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余市町です。【余市町観光タクシー・ジャンボタクシー】
余市町です。【余市町貸切観光タクシー・チャータージャンボタクシー】
リンゴとウイスキーの町、余市町です。
ここ余市町は、気候風土に恵まれ、古くから先住民族が住んでいました。
フゴッペ洞窟やストーンサークルなども残っております。
和人の歴史は、今から400年ほど前の慶長4年(1599年)、松前潘が、アイヌの人達と交易をする場所として、フゴッペ場所、モイレ場所を設けたのがはじまりで、長い間、ニシンの千石場所として栄えました。
その後、明治4年、会津などから開拓者が入植して、農業も営まれるようになり、中でもリンゴの栽培は、全国でも、いち早く行われたところです。
現在は、沿岸漁業や水産加工に力を入れ、果樹栽培もリンゴ・ブドウ・メロンなど、バラエティに富んでいます。
余市町の概要
余市町は積丹半島の付け根に位置し、変化に富んだ美しい海岸線はニセコ・積丹・小樽海岸国定公園に指定され、温暖な気候は農業を育て、人を育み、日本海に面している事から漁業の町として歩んできました。
農業の主役は余市リンゴに代表される果樹栽培で、郊外の緩やかな丘陵地や平地には春は、あちらこちらで花が咲き、あたかもウィーンの郊外を思わせる風景は異国情緒を掻き立ててくれます。
また、夏から秋にかけては色々な果物がたわわに実り、大勢の観光客が北海道有数の果物の町に訪れます。
観光と言えば果物目当てのお客様ばかりではなく、日本のウィスキーを代表する「ニッカウヰスキ北海道工場」には年間を通じて約40万人もの観光客が見学に訪れ、余市町の観光のシンボル的存在になっております。
町の総面積は約140平方km人口は約2万6千人で、今この町が目指しているのは「田園都市」という新しい街づくりで、「はばたけ余市町21世紀」をスローガンに市街地の再開発に乗り出しております。
ニュートンの林檎の木
ここ余市町にニュートンのリンゴの木があります。
全道でも珍しく限られた所にしか有りません。
その一本の木がこの余市町に有るのです。(現在は接ぎ木し、育てたものが有りますので一本とは限りません。)
平成4年の春、この町の黒川小学校で空知管内の深川市から接ぎ木した苗を譲り受け、学校の校庭に植えたもので、以来児童達が一生懸命面倒を見ております。
黒川小学校は宇宙飛行士・毛利衛さんの出身校で、この年の9月12日に宇宙へ旅立ち世界のヒーローとなりました。
飛行中の実験の一つに無重力の中でリンゴを扱うシーンが有りましたが、そのリンゴは故郷・余市産で、それと共に母校・黒川小学校の後輩達と宇宙教室を開き、全国の電波で実況中継されました。
そもそも今から約280年ほど前、イギリスの物理学者・ニュートン(1643年~1727年)はリンゴの木から実が落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見したお話は余りにも有名ですが、偶然、このリンゴの木をイギリスの国立物理研究所で、接ぎ木を重ね大事に保存していたのです。
昭和40年頃、東大の名誉教授・柴田雄次氏が苗木を譲り受け、東大の物理学部付属植物園に移植しました。
深川市はリンゴを手掛けてから90年を迎えた事を記念してリンゴ作りのシンボルにしたいと言う思いで、昭和57年北大農学部を通じて同植物園から苗木を譲って貰い、リンゴ園を経営している深川市音江の小森正規さんに依頼して、小森果樹園に植えたという経過を辿ったのが「ニュートンのリンゴの木」なのです。
ところがこの話を耳にした黒川小学校では、毛利衛さんの宇宙飛行という歴史に残る体験を通して、子供達に、リンゴ発祥の地・余市に対する郷土愛と科学への興味を育てようと考え、この年の2月深川市に依頼したところ快諾され、10本の枝と5月には約3mに成長していた苗木をプレゼントしてくれたのです。
苗木は学校の正門のすぐ横の庭園に移植され、10本の枝は町内の果樹園・吉田初美さんがハックナイン等の台木に接ぎ木して育て、その内の5本が校庭に移植されたという事です。
苗木で植えた木はその年の秋に10個程の実を付け、宇宙の旅から戻った毛利衛さんが同年10月に帰郷した折り、この内1個がプレゼントされたと逸話が残されております。
ニュートンの万有引力の発見から280年の後、その法則がリンゴを通して確かに証明された宇宙からの映像は、科学を平和利用している素晴らしさではないでしょうか。
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