余市ニッカウヰスキー工場【冬】見学で~す。

余市町観光ジャンボタクシーさすがに、3月に入ると余市町の観光客の皆さんも、少なくなりました。

3月の余市町ニッカウヰスキー工場見学は、ゆっくり見学出来るので最高😃⤴⤴ですね❗😃✌

竹鶴政孝

明治27年6月、広島県竹原市にあった造り酒屋の三男として生を受けました。小さい頃はワンパクで8歳の時、自宅の階段から転げ落ちて鼻を強打し、七針も縫う大けがをしたのです。

ところが、これが何と国産スコッチを世に送り出す前兆だったのですから、わからないものです。その上、生まれた時から人一倍、鼻が大きな赤ん坊で回りが驚いたくらいなのですから。

「このけがで鼻が通るようになって、人並み外れた大きな鼻、臭覚が生まれ、ウイスキー造りに役立った」と政孝氏は生前語っておられたそうです。

大正5年、大阪高工醸造科を卒業し、大阪の摂津酒造に勤務しました。

当時、イギリスのウイスキーが日本市場に入り込み、ウイスキーに関しては我が国のものは焼酎に色を付けた程度のイミテーションだったのです。

気骨のある摂津酒造の社長・阿部喜兵衛の勧めによって大正7年3月、大勢の見送りを受けて横浜から船に乗ってアメリカ経由でイギリスへ旅立ちました。

「わざわざ日本からウイスキーの研究にやって来るとは奇特な若者」と、目を掛けてくれるイギリスの技術者にも恵まれ、ウイスキーの技術を習得して日本に帰国したのが大正10年9月、竹鶴は永遠を誓って結婚したゼシー・リタを伴っておりました。

3年間の留学で習得したウイスキーに関する知識は、中々日本の酒造会社では受け入れて貰えず、摂津酒造からサントリーへ、そして昭和8年サントリーを退社し、かねがね目を付けていた余市でのウイスキー造りの準備に取り掛かりました。

ウイスキーは熟成の時間が必要で、手始めにリンゴジュースやブランデーを造って販売し、昭和11年にウイスキーを作り、4年後の昭和15年、ニッカの第一号が世に出たのです。

ニッカは、現在、全国的な洋酒メーカーに成長し、余市の他には仙台の原酒工場をはじめ、東京、弘前、西宮、九州などに工場があります。

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