積丹半島 フリープラン 観光ルートTAXIモデルコース 個人ジャンボタクシー高橋の積丹・神威岬観光案内です。

積丹半島神威岬の先端にある積丹神威岩です。

積丹神威岩の伝説、積丹神威岬にまつわる悲しい恋の伝説です。

兄頼朝の追手をのがれて、蝦夷地にわたった義経は、日高のアイヌコタンに滞在し、いつしかコタンの娘、チャレンカと恋仲になりました。

しかし、大きな望みをいだく義経のこと、別れも告げず、ひそかに旅立ってしまったのです。

これを知って驚いたチャレンカは、あとを追って、ようやく積丹神威岬まで来ましたが、ときすでに遅く、義経一行は帆をあげて船出したあとでした。

チャレンカは遠ざかる船に、声の限り叫び続けましたが、むなしく波の音に打ち消されるばかり・・・。

ついに悲しみと恨みを残して、崖の上から身をおどらせてしまい、積丹神威岩になったといい、それ以来、和人の船が、女性を乗せてこの岬を通ろうと、暴風雨がおこり、船の進むのを邪魔しますので、これはアイヌ娘の恨みと呪いによるものだろうと、語り伝えられています。

積丹神威岩の伝説をご紹介しましたが、これは、和人の奥地定住をきらった松前藩が、女人禁制の政策を進めるために作った物語だろうと言われております。

[ソーラン節]この積丹は、そのむかしニシンで明け、ニシンで暮れたところです。

そして、ニシンとは切り離せないものの1つに、ソーラン節があります。

ソーラン節は、ニシンをとるときに使われた建網の作業唄ですが、その発祥地がどこなのかは、はっきりしておりません。

余市にソーラン節発祥記念碑、美国にはニシン場音頭記念碑があり、江差地方では江差で生まれたといっております。

この積丹地方のお話をご紹介しますと、積丹美国場所の請負人、岩田屋金蔵の使用人に、南部地方(岩手県)出身の金次という人がいました。

その金次は大変な美声の持主で、ニシンの枠網から、大タモでニシンをくみ上げるとき、金次がすかさず入れる「合の手」と「即興の唄」は、激しい労働で、疲れきった漁夫たちの志気を奮い立たせたと言います。

そして、このヤーレンソーランのはやしとアドリブに富んだ作業唄が、やがて、漁夫とともに、全道のニシン場へ流れていったと伝えられています。

ランチの後は、積丹町積丹半島神威岬でウォーキングです。

積丹神威岬灯台、積丹神威岩までは、往復徒歩40分~50分です。

天気も良く積丹ブルーの海と、この時期珍しく暖かく風も無く楽しいウォーキングになりました。🚶😃✌

積丹女人禁制門がみえております。

積丹神威岬の婦女通行の禁、積丹神威岬付近は、天気の良い日でも波の高い事が多く、昔は、少し荒れだすと、小さな船ではなかなか通ることが出来なかった難所で、蝦夷三険岬(茂津多・神威・雄冬)の1つに数えられていたところです。

ところで、松前藩時代には、この岬から北へは、女性が行くことを認めておりませんでした。

それは松前藩ではこの積丹神威岬から北は、和人の定住を禁じていて、そこに女性が入ると言う事は、定住を意味したからでした。

和人が、交通の不便な奥地に、どんどん入るようになっては、藩の力で、とても取り締まる事が出来なくなるからです。

したがって、奥地に入るのは、ニシン漁に行く男だけに限られていて、恋し人との別れを惜しむ、妻や恋人の思いが、「恨みますぞえ、お神威さまは、なぜに女の足止める」「忍路高島およびもないが、せめて歌棄磯谷まで」と、追分節にもうたわれています。

この女人禁制の掟が解かれたのは、安政3年(1856)、蝦夷地を幕府が直接おさめるようになった翌年の事です。

宗谷へ赴任するお役人、梨本弥五郎が、初めて妻子をつれて、この岬を通過しております。

積丹の漁港

積丹町には7つの漁港があります。かつてニシン漁で栄えた時代を背景に、現在もなお忙しく出船入船が昼夜をとわず行きかう様は、何時見ても活気がみなぎって力強い風景です。先祖代々受け継いで来た漁業を今も続ける漁民たちの顔は自信に溢れ、つくづく男の仕事場という感じがいたします。

ニシンに去られてもなお、ここに留まって先祖の残した足跡を消す事なく、積丹の海を守り続けている人々の姿は美しく、明るく前向きに時代を見据えて漁をしているのでしょう。

日本海の荒波が始まり、青葉の茂る5月を迎えると浜はヒラメ漁が始まります。

6月はウニ漁、7月はイカ漁の季節、このイカ漁が始まると遙か沖に点々と灯りがともり、まるで不夜城といった光景がみられるのです。イカ漁ならではの光景は秋に入っても続きますが、やはり秋と言えばサケ漁と相場は決まっていて、大掛かりな漁が展開されます。漁民の仕事はこれで終わらず、凍てつく寒い冬も「スケソウ漁」が待っています。スケソウダラ(スケトウダラ)は蒲鉾の原料であり、紅葉子・明太子の原料となる腹子はこのスケソウの子なのです。

こうして日本海の豊かな恵みを追って、今日も多くの船が浜に、海岸に、沖に出漁して、私達の食卓にいつも新鮮な海の幸を届けてくれるのです。

「積丹岳」で標高1255m、「余別岳」で標高1298mあります。

昔からスキー登山で知られた山が積丹岳で、春のヘリコプタースキーと言えば「積丹岳へリスキー」の名前ですっかり多くのスキーファンを魅了し、大勢のスキーヤーが訪れております。

へリスキーが始まったのは昭和59年からで、札幌の「ばんけいスキー場」が積丹町などの協力で実施しております。一般のスキー場が滑降不能となる3月下旬から4月下旬までの土曜・日曜の10日間位のヘリ運行を予定しております。

積丹町婦美地区のレストラン「グリーンホリデー」の敷地をヘリポートとし、ここから積丹岳の約1100mの地点に約5分間でスキーヤーを運び、そこから頂上までは雪上車がピストン輸送しております。

スキーヤー達は頂上近くの自然のゲレンデでスキーを楽しみ、最後は麓までの全長約8㎞の林間コースを堪能しながら、日本海の大海原を眼下に山頂から一気に滑り降りてくるという、誠にスリル溢れたスキーの醍醐味を味わう事が出来るのです。

神威岬灯台

岬の突端の灯台は「神威岬灯台」です。

標高約80mに位置し、灯台の高さは12m、17万カンデラの灯りを21海里約39㎞沖に向けて放っております。

灯台周辺は風が強く雨や雪は降るのでは無く、下から吹き上がって来るといった気象条件の誠に厳しいところです。

只でさえ波荒い日本海、その海に突き出た岬は波浪や風によって、想像を遙かに超えたエネルギーで断崖絶壁の岬は容赦なく浸食され、何の衒いもなく変化を続けております。

海はいつも人間に挑戦するかの様であり、ある時は歯を剥きだして船を屈状させ、遭難事故が絶えませんでした。

そこで自然条件を少しでも克服する為に、明治21年8月に本道で2番目の「鉄造り石油灯」の灯台が設置されました。(本道全体の灯台設置からは5番目)

灯台が設置されても海は人間の微力、愚かさを嘲笑うこの様に、波は高く低く休む事なく今日も海岸線に打ち寄せています。

女人禁制の場所として恐れられていた岬に立つ灯台は、かつては有人灯台でした。その後、昭和35年で無人となり、今もなお洋上を航行する船に向かって「命の灯」を放ち続けております。

此方は、さいのかわら方面です。🚕

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