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積丹半島『神威岬』と『神威岩』です。
積丹半島『神威岬』と『神威岩』です。
昨日行った積丹半島神威岬の積丹ブルーの海です。
神威岬も凄く良く晴れています。😃✌
積丹観光日よりです。
神威岬からの積丹ブルーの海も最高😃⤴⤴です。
スマホのカメラで小さく写ってますが、神威岬沖に新日本海フェリーが新潟港に、むけて航行しています。😃✌🚖🚕🚖
神威岬灯台
岬の突端の灯台は「神威岬灯台」です。地上から灯台頂部約12m、水面から灯火約82m、17万カンデラの灯りを21海里約39㎞沖に向けて放っております。
灯台周辺は風が強く雨や雪は降るのでは無く、下から吹き上がって来るといった気象条件の誠に厳しいところです。
只でさえ波荒い日本海、その海に突き出た岬は波浪や風によって、想像を遙かに超えたエネルギーで断崖絶壁の岬は容赦なく浸食され、何の衒いもなく変化を続けております。海は何時も人間に挑戦するかの様であり、ある時は歯を剥き出して船を屈状させ、遭難事故が絶えませんでした。
そこで自然条件を少しでも克服する為に、北海道庁が明治21年(1888年)から6年間に渡って20基の灯台を建設した最初の灯台であり、明治21年(1888年)8月25日に点灯しました。
北海道に現存する灯台では5番目に古いものです。
灯台は設置されても海は人間の微力、愚かさを潮笑うかの様に、波は高く低く休む事無く今日も海岸線に打ち寄せています。
女人禁制の場所として恐れられていた岬に立つ灯台は、かつては有人灯台でした。その後、昭和35年で無人となり、今もなお洋上を航行する船に向かって「命の灯」を放ち続けております。
積丹神威岩の伝説、積丹神威岬にまつわる悲しい恋の伝説です。
兄頼朝の追手をのがれて、蝦夷地にわたった義経は、日高のアイヌコタンに滞在し、いつしかコタンの娘、チャレンカと恋仲になりました。
しかし、大きな望みをいだく義経のこと、別れも告げず、ひそかに旅立ってしまったのです。
これを知って驚いたチャレンカは、あとを追って、ようやく積丹神威岬まで来ましたが、ときすでに遅く、義経一行は帆をあげて船出したあとでした。
チャレンカは遠ざかる船に、声の限り叫び続けましたが、むなしく波の音に打ち消されるばかり・・・。
ついに悲しみと恨みを残して、崖の上から身をおどらせてしまい、積丹神威岩になったといい、それ以来、和人の船が、女性を乗せてこの岬を通ろうと、暴風雨がおこり、船の進むのを邪魔しますので、これはアイヌ娘の恨みと呪いによるものだろうと、語り伝えられています。
積丹神威岩の伝説をご紹介しましたが、これは、和人の奥地定住をきらった松前藩が、女人禁制の政策を進めるために作った物語だろうと言われております。
[ソーラン節]
この積丹は、そのむかしニシンで明け、ニシンで暮れたところです。
そして、ニシンとは切り離せないものの1つに、ソーラン節があります。
ソーラン節は、ニシンをとるときに使われた建網の作業唄ですが、その発祥地がどこなのかは、はっきりしておりません。
余市にソーラン節発祥記念碑、美国にはニシン場音頭記念碑があり、江差地方では江差で生まれたといっております。
この積丹地方のお話をご紹介しますと、積丹美国場所の請負人、岩田屋金蔵の使用人に、南部地方(岩手県)出身の金次という人がいました。
その金次は大変な美声の持主で、ニシンの枠網から、大タモでニシンをくみ上げるとき、金次がすかさず入れる「合の手」と「即興の唄」は、激しい労働で、疲れきった漁夫たちの志気を奮い立たせたと言います。
そして、このヤーレンソーランのはやしとアドリブに富んだ作業唄が、やがて、漁夫とともに、全道のニシン場へ流れていったと伝えられています。
おはようございます昨日は雨でしたが、今日の積丹半島神威岬に、奇跡が起きました。
お客さんも私も、積丹半島神威岬の雨は絶対あがらないと思っていたら、あ~ら不思議積丹半島神威岬到着少し前に、雨があがって青空が、日も出て来て積丹ブルーの海を見れて、お客さんも大喜びでした。
神威岬自然公園
積丹町国道229号全面開通を切っ掛けに、神威岬周辺を一大リゾートにしようと、神威岬自然公園事業を平成元年より着手しました。
岬の眺望を楽しんでいただくための展望台をメインに、駐車場・レストハウス・いこいの広場・散策路・水洗トイレなどを公園内に整備すと言うものです。
まず、国道から公園に通じるアクセス道路(延長1.2㎞)を手掛け、敷地内に広い駐車場を設けました。
神威岬周辺に遊歩道と展望台を作り、岬の突端に立つ灯台までは探勝路を整備し、ゆっくり歩いて片道徒歩40分位で行く事ができます。
神威岬周辺の神秘的な雰囲気と自然環境との調和を考慮して、全体をレトロ調に仕上げており、探勝・散策路の柵は木材を使用し、爽やかトイレは「鰊番屋風」な外観で建てられております。
平成7年5月には、公園整備事業最後のレストハウス「ペニンシュラ」が約2億8000万円で建設されオープンしました。
鉄筋コンクリート造り一部二階建て540㎡の規模で、海鮮料理を主とするレストラン、地元の産物の展示・即売コーナー、観光案内所が設けられ、観光客の便宜を図っております。
札幌市内から約80㎞の距離にある神威岬は昭和30年代に一度迎えた観光ブームの再来を願い、幻の国道と呼ばれていた不通区間が平成8年11月1日に開通したことから、格好なドライブコースとして、また、本州からの観光客にも大いに注目される観光地として飛躍の時代を迎えた様です。
北海道の「西の知床」と言われて久しく、しかし、幻の国道ゆえに道内有数の景勝地も日の目を見る迄、長い年月を要しましたが、国道全線開通の効果は少しづつ現実のものとなっております。
北海道の四季
冬の長い北海道は本州にくらべると季節の移り変わりが早く、四季それぞれに趣きを変えて、訪れる人々の旅情をさそっております。
(春)
3月から4月にかけて、雪解け水を集めた川は水かさを増し、野では長い間眠っていた黒い土が顔を出し、フキノトウやフクジュソウが春の訪れを告げます。
街ではまだ雪が残っているうちに、人々は軽やかな「よそおい」に変え、ほおをなでる春風の感触を楽しみます。
(夏)
美しきもの 皆もろし 鈴蘭の
とく しおるるが 美しきかな (有島武朗)
5月には桜、スズラン、ライラックなど、北国の花の季節です。
そして夏は青く澄んだ空気に満ちあふれ、緑一色の野山、紺碧の海、原生花園の美しさ、このみずみずしい季節を心から楽しもうと、いたるところでお祭りがくりひろげられます。
港まつり、湖水まつり、火まつり、温泉まつりなど、北海道ならではのロマンの祭典が旅人に忘れがたい思い出を刻むのです。
(秋)
しんとして 幅広き街の 秋の夜の
とうもろこしの 焼くるにほひよ (石川啄木)
8月を過ぎますと、秋が足早にやってまいります。
北国の秋の風物詩は、街角に漂うトウキビのにおい、目にしみるような青い空にすっくと立つポプラの葉ずれの音、そして山の頂から急ぎ足で降りてくる紅葉の燃えるような赤から始まります。
この頃北海道は山の幸、海の幸の味覚でいっぱい、リンゴ、ジャガイモ、シシャモ、アキアジ、タラバガニ、これらの珍味に舌づつみをうちながら、長い夜のひとときを過ごします。
(冬)
寒い朝、遠くの山々を見ると頂が白く、「あゝ冬だなぁ」と心が引き締まります。
雪が降り、そして消え、また降りしきり根雪になります。
根雪が消えるまでの長い冬の間、北国の人々は雪の中で楽しむことを忘れません。
老いも若きもスキーに、スケートにウインタースポーツの花を咲かせます。
今では国際的に有名になった「さっぽろ雪まつり」をはじめとして、道内各地で冬まつり、流氷まつりが行われます。