積丹町での観光貸切チャータータクシー・Sightseeingtaxi高橋の島武意海岸です。

積丹町積丹岬島武意海岸

日本の渚100選に入る積丹岬島武意海岸です。

積丹半島の先端は、かたつむりのツノのように、積丹半島神威岬と積丹半島積丹岬が突き出ていますが、イリカはその1つ、積丹岬にいだかれた小さな漁村です。

市街から積丹岬へは簡単にいくつ事ができ、遊歩道の散策や、島武意海岸の絶景もお楽しみ頂けます。

また島武意海岸へは、素掘りのトンネルを通って行きますが、暗いトンネルを抜けると、そこは青一色、ファンタジーの世界に飛び込んだような素晴らしい景観です。

積丹町の歴史

行政の中心である旧美国町は昭和31年9月、近隣の入舸村と余別村が合併して積丹町を名乗る様になりました。

この町の町章を見ますと三羽のカモメで描かれており、美国・入舸・余別が一つの町に統合された事を表しております。

積丹とはアイヌ語で「シャクコタン」夏の村・集落の事です。その言葉の通り今から4千年ほど前、縄文人そして後にはアイヌ人がこの辺りの海岸線に、夏の集落を作り居住した事からこの地名が生まれた様です。

この町に和人の歴史が始まったのは今から350年前の慶長年間で松前藩の領地となり、宝永3年(1706年)には美国場所と積丹場所の両場所が設けられました。

美国場所(現在の美国)は松前藩・近藤家が、積丹場所(現在の日司)は松前藩・藤倉家が代々知行主で、漁場所はもともと、知行主に代わって場所請負人が治めていました。

中でも積丹場所請負人、岩田金蔵は安永5年(1775年)から明治まで、長期に亘って代々場所請負人を務めてきた方で、後には美国場所も治める様になりました。

明治に入って請負制度は廃止され明治35年には美国町となり、39年には余別・入舸に村制が施行されるなど、早い内から多くの人々が日本海に面した積丹の漁場に定住していた事が伺われます。特に明治から大正時代にかけてニシン漁場として栄えた所で、鰊が群来る時、海面は銀色に染まり、ニシンを追ってやって来る大勢の「ヤン衆」達で漁場は一層活気づいたともうします。

ヤン衆達がニシン漁場で作業歌としたのがあの有名な「ソーラン節」で、北海道を代表する民謡として今も歌い継がれております。「ソーラン節の発祥の地は我が町」と名乗り出ているのが、隣り町の余市町と積丹町の両町で、本家争いとまでは至っておりませんが、それぞれ、記念碑を建てて地盤固めをしているようです。

積丹ブルーの海です。

積丹半島の地名、シャコタンという地名の由来をご紹介致します。

積丹の字はなかなか読みにくく、セキタン半島と読むかたもいらっしゃるようです。

これはアイヌ語の「サクコタン」(夏の村)あるいは、(夏の集落)から来ています。

アイヌの人達は狩猟民族で、夏は海岸や川辺、湖のほとりに集落をつくり、海や川の幸をとって食糧をたくわえました。

魚介類の豊富なこのあたりの海岸は、アイヌの人達にとって最高の場所柄だったわけです。

そして冬になると、熊や鹿などの多い所に移動しました。

これを(冬の村)「マタコタン」と呼びます。

このように季節ごとに移動する生活をしていましたので、アイヌのコタンは余り大きくなく、5~6軒から、多くても20~30軒の集まりだったそうです。

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