日本の渚百選積丹岬・島武意海岸 フリープラン 観光ルートTAXIコース案内です。

積丹ブルーの海です。

ランチの後は日本の渚100選、島武意海岸積丹岬です。😃✌🚕

此方も何時もの積丹ブルーの海でした。めでたしめでたし🙌\(^o^)/🚕🚕

積丹町の海一部が道内唯一の海中公園に指定されておりますが、美しい島武意海岸は第二号の指定地で、その絶景を望むのに必見の場所がこの島武意トンネルを抜けた所です。

神秘的な海の色、天然の名工が刻んだ岩の芸術、海の底まで見えるほど入り江の水は青く澄み渡り、夏ともなりますとひんやりとしたトンネルをくぐり、未知の世界を冒険する様なスリル味わう事が出来ます。

積丹町の歴史

行政の中心である旧美国町は昭和31年9月、近隣の入舸村と余別村が合併して積丹町を名乗る様になりました。

この町の町章を見ますと三羽のカモメで描かれており、美国・入舸・余別が一つの町に統合された事を表しております。

積丹とはアイヌ語で「シャクコタン」夏の村・集落の事です。その言葉の通り今から4千年ほど前、縄文人そして後にはアイヌ人がこの辺りの海岸線に、夏の集落を作り居住した事からこの地名が生まれた様です。

この町に和人の歴史が始まったのは今から350年前の慶長年間で松前藩の領地となり、宝永3年(1706年)には美国場所と積丹場所の両場所が設けられました。

美国場所(現在の美国)は松前藩・近藤家が、積丹場所(現在の日司)は松前藩・藤倉家が代々知行主で、漁場所はもともと、知行主に代わって場所請負人が治めていました。

中でも積丹場所請負人、岩田金蔵は安永5年(1775年)から明治まで、長期に亘って代々場所請負人を務めてきた方で、後には美国場所も治める様になりました。

明治に入って請負制度は廃止され明治35年には美国町となり、39年には余別・入舸に村制が施行されるなど、早い内から多くの人々が日本海に面した積丹の漁場に定住していた事が伺われます。特に明治から大正時代にかけてニシン漁場として栄えた所で、鰊が群来る時、海面は銀色に染まり、ニシンを追ってやって来る大勢の「ヤン衆」達で漁場は一層活気づいたともうします。

ヤン衆達がニシン漁場で作業歌としたのがあの有名な「ソーラン節」で、北海道を代表する民謡として今も歌い継がれております。「ソーラン節の発祥の地は我が町」と名乗り出ているのが、隣り町の余市町と積丹町の両町で、本家争いとまでは至っておりませんが、それぞれ、記念碑を建てて地盤固めをしているようです。

この島武意海岸は明治18年(1885年)に齊藤彦三郎という人がニシン漁に「魚網」という漁網を発明して鰊場を経営していたところです。

明治28年にシマムイ漁場の斜面を登り、苦心して私財をなげうって開削したのが延長30mの程の「島武意トンネル」です。

それ以来、鰊をモッコ入れて背負いながら急な坂道を上りトンネルを通行してこちら南側の干場に運びました。

元々積丹岬の北に位置する島武意の浜は断崖絶壁の続く険しい海岸線、その浜から陸にニシンを運ぶ為には、どうしても岬のどてっ腹を繰り抜かなくてはなりませんでした。

そんな必死の思いで作ったトンネルも、現在は観光客が島武意海岸の散策を楽しむ為に利用しています。

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