札幌小樽での送迎観光タクシー・ジャンボタクシー高橋の『札幌ドーム』です。

札幌ドーム

銀色に光る構造物は、札幌が世界に誇る全天候型多目的スタジアム札幌ドームです。

愛称をHIROBAと呼ばれる札幌ドームは、市街地と郊外の境に位置し、周りには広大な牧草地や農場の緑が広がる羊ヶ丘の一角にあり、まさに北海道ならではのスケールの大きな風景の中に造られました。

およそ、31haの敷地には約8000本もの樹木が生い茂り、アート作品が点在する庭の中、2つのアリーナ(屋根のあるクローズドアリーナと、屋根のないオープンアリーナ)で成り立っているドームです。

この2つのアリーナの間を移動するのが天然芝のサッカーグラウンドのホヴァリングサッカーステージは、世界初のシステムとして注目されたのです。

他にも野球とサッカーの使用モードに合わせて移動する観客席や、グラウンドから53mの高さの展望台など、豊富なアイディアと20世紀の工業技術の粋を注いで造られた、いうあば21世紀への贈り物です。

平成13年6月オープン以来、野球・サッカーのスポーツを始め、コンサートなどが行われ、そして平成16年3月からプロ野球、パ・リーグ、北海道日本ハム・ファイターズのホームグラウンドとして活用している建物です。

外に有る天然芝のサッカーグランド縦120m、横85m、重さ8.3トンの天然芝のステージをホバリングシステムを使い、空気圧によって7.5㎝浮上させて34個の車輪を使い分速4mの速さでドームの中に移動し、屋内でのサッカー試合を可能としています。サッカーの試合の無い時は、野外のオープンアリーナで、良好な芝を育成します。天然芝のサッカーグランドをドーム内に出し入れ出来る優れものです。

日本ハムファイターズとコンサドーレ札幌のホームグランド札幌ドーム観光案内です。

札幌ドーム(HIROBA)

季節やてんこうを問わず、コンサートや展示会など大イベントを開催できる全天候型多目的施設として、2001年(平成13年)にオープンしました。

北海道日本ハムファイターズ、コンサドーレ札幌の本拠地として多くのファンに親しまれており、2002年(平成14年)にはFIFAワールドカップの会場にもなりました。

彫刻が設置された敷地内は自由に散策できるほか、イベントのない日にはドーム内を案内するドームツアーや展望台を利用することができます。

ドームツアーでは、ロッカールームやブルペンなどを専属のツアーでアテンダントがガイドしてくれます。

国内初めてドームに設置された高さ53mの展望台は、スタジアム全体を見渡せるほか、札幌市内中心部を一望でき、晴れた日には石狩湾まで見る事ができます。

プロスポーツ 野球:北海道日本ハムファイターズ

北海道日本ハムファイターズの歴史を紐解くと、1946年(昭和21年)までさかのぼります。

設立当初の球団名は「東京セネターズ」、その後1947年(昭和22年)「東急フライヤーズ」、1954年(昭和29年)「東映フライヤーズ」と名前を変えます。

そして、1962年(昭和37年)球団創立以来の初優勝・日本シリーズ初制覇を水原茂監督のもとで達成します。

1973年(昭和48年)には「日拓ホームフライヤーズ」となりますが、この年11月、日拓ホームズ野球株式会社の経営権を日本ハム株式会社が譲り受け、「日本ハムファイターズ」が誕生します。

大沢啓二監督のもと、1981年・1982年(昭和56年・57年)2年連続パ・リーグ後期優勝を果たします。

1988年(昭和63年)東京ドームの完成に伴い、同球場をフランチャイズ球場としますが、12球団のうち6球団が首都圏にひしめき、東京都内にも3球団が本拠地を構えるという過密状態の中で、難しい球団経営が続きます。

そして2003年(平成15年)、札幌ドームへのフランチャイズ移転を熱望する地元と、球団の独自性を発揮し、次代のプロ野球界発展を図りたいとする球団側のビジョンが一致し「北海道日本ハムファイターズ」が誕生します。

2004年(平成16年)にフランチャイズを北海道へ移転し、札幌ドームを本拠地球場としました。

北海道移転後の2006年(平成18年)にはトレイ・ヒルマン監督のもと、プレーオフを制し、パ・リーグで優勝、その勢いで日本シリーズも制しました。

2007年(平成19年)もパ・リーグを制し、球団史上初の連覇を成し遂げました。

ファンサービスを第一とし、地域社会との共生を図ることを理念に掲げた球団の活動には、多くの道民が熱い声援を送っております。

プロスポーツ サッカー:コンサドーレ札幌

「コンサドーレ札幌」が産声を上げたのは1996年(平成8年)のことです。

1991年(平成3年)に誕生したjリーグは、それまでの実業団サッカーをプロ化し、マイナースポーツと見られがちだったサッカーを一気にメジャーな存在に押し上げました。

jリーグの試合がテレビ放映されるようになり、「サポーター」という言葉が一般化、応援合戦が華やかに繰り広げられていました。

そんな中、1994年(平成6年)、札幌青年会議所がjリーグの地元チーム発足を目指し、署名運動を展開します。

署名31万人に達した翌年には、財界人を中心とする誘致組織「札幌Sjクラブ」発足、東芝への具体的な働きかけを開始します。

こうして1996年(平成8年)1月に東芝が札幌への移転を正式発表。

4月には、運営会社「札幌フットボールクラブ」が設立され「コンサドーレ札幌」が事実上誕生します。

それからはサポーターと一体となってチームも成長。

親会社を持たないクラブの経営は、大変厳しいもがありますが、全道各地でサッカー教室を開催するなど地域に根ざした活動を続けながら、北海道民の誇りとなれるチームづくりを進めています。

札幌市のあらまし

明治の始め、それまでの、蝦夷地という呼び名を、北海道に改めたころの札幌は、昼なお暗い、うっそうたる原始林で、クマやオオカミ、シカなどが住む、未開の大地でした。

それからかぞえて100有余年、今では御覧の様な大都市に発展し、北海道の政治・経済文化の中心地として繁栄を続けております。人口は約180万人、北海道全体の約3割を占め、東京・横浜・大阪・名古屋に次いで、5大都市の仲間入りしています。

また、昭和47年の冬季オリンピック以降は、国際舞台にも登場し、アメリカのポートランド・ドイツのミュンヘン・中国の瀋陽・ロシアのノボシビルスクと姉妹都市の縁をむすんだり、気候風土の似ている、北方圏諸国との文化交流も盛んに行っております。

札幌は、開拓当初から、壮大な都市計画のもとにつくられた街だけに、幅広い道路は碁盤の目に区切られ、いたるところに様々な種類の並木が植えられています。

また、北海道特有の、四季の移り変わりの中で、異国情緒を漂わせている建物も多くあります。

エルムの都、アカシアの街、詩の都まどとも呼ばれ、大通公園・時計台・羊ヶ丘・赤レンガの道庁旧本庁舎などが、訪れる人々の旅情をなぐさめています。また、冬の「さっぽろ雪まつり」も、今では一大ページェントとして、国内はもちろん、海外にも知られております。

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