北海道『小樽海陽亭』です。【北海道小樽個人Sightseeing TAXI高橋】

小樽海陽亭、北海道で一番古い料亭です。

明治39年11月、日本とロシアの国境を決める会議(日露国境画定会議)が、ここ小樽で開かれましたが、その後の大宴会は、小樽海陽亭で行われました。

また、ときの総理大臣、伊藤博文が泊まったこともあります。

また石原裕次郎さんが、良く遊びに来ていたところです。

料亭(海陽亭)

経済の街として小樽が力をつけてくるにつれ、商店や企業がお客さんを接待し、商談を行う場として、料亭もにぎわいを見せてきました。

最盛期は大正中期で、昼夜弦歌絶えることなく、料亭の部屋はフル回転し、それでもお客さんをこなしきれなかったと言います。

大正期には、今も名を伝えられる迎陽亭(花園町)、中島屋(東雲町)、仙台屋(稲穂町)、千登勢(緑町)、「住所はいずれも現在の番地」などが次々に開業しました。

それぞれの趣向で人気を呼び、千登勢では池に船を浮かべ、舟遊びの風情でお客さんを楽しませました。

現存する海陽亭(住吉町)は明治初年に魁陽亭として開業しました。

明治39年(1906年)、小樽で開かれた日露国境画定会議後の、両国委員の大宴会が開催された由緒ある料亭です。

古くは明治の元老伊藤博文、最近では石原慎太郎、石原裕次郎兄弟ら、各界著名人が訪れ、親しんでいることでも知られております。

さて、宴会の花は芸者衆で、三弦の音華やかなころ500人を数えたと言います。

しかし、港町の芸者たちは気が強い。

大正8年(1919年)、見番と料亭が線香代(芸者の時間給)値上げでもめた時、芸者衆380人が小樽芸妓期成同盟を結成して団結、値上げ反対の料亭へは顔を出さなかったと言います。

小樽市のあらまし

明治のはじめ、札幌が北海道の中心に決まりますと、天然の良港だった小樽は、札幌への物資の陸揚げ港となり、やがて、石炭をはじめとする、北海道の物産の積み出し港となりました。

このため、明治13年には、小樽の手宮と札幌の間に、日本で3番目の鉄道が敷かれ、本州からの開拓移民もいったん小樽に上陸し、ここから奥地へと向かったものでした。

また明治38年、南樺太が、日本の領土となってからは、玄関口となった小樽は、樺太航路ができ、さらに第一次世界大戦の頃には欧米航路も開かれて、港はいつも船で埋まっておりました。

銀行街が北海道のウォール街と呼ばれ、小樽の雑穀市場が、ヨーロッパの市場をゆるがすほど栄えました。

敗戦で樺太を失って対岸貿易が減ったため発展のテンポは鈍りましたが、現在は、昔ながらのたたずまいを残す港町として、再び注目を集めることになりました。

小樽は坂の多い街で、家並みのあちこちから、青い海が顔をのぞかせています。

町を歩くと明治、大正のころを偲ばせる、運河や石づくりの建物にぶつかりますが、それらの古いたたずまいの、運河や倉庫などは、きれいに整備され、レトロな町並みをつくっています。

また、小樽には気取りのない人達が多く、おなじみのお客さんが転勤ともなると、一晩中お店を閉めて送別会をしてくれる飲み屋さんや、市場の人達など、小樽はそんな人情のこまやかさ、温かさある街です。

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