小樽 北一硝子 三号館です。北海道小樽観光個人TAXI高橋

北一ガラス三号館

木村圓吉、天保元(1831)年青森県東津軽郡一本木村字大泊出身の大工木村円太郎が始祖。

弘化3(1846)年から春になると北海道の増毛で刺網によるニシン漁を営み、漁期が過ぎると青森に帰ってました。

5代目圓吉は幼名百太郎と称し、福島の漁家花田伝七の三男で明治25(1892)年22歳の時に木村円太郎の孫娘ミヤの婿養子になりました。

仲人は漁家の金澤友次郎でした。

ヤマシメ木村は明治24(1891)年に小樽に本拠を移しています。

現在の北一ガラス三号館の倉庫は旧木村倉庫で明治24(1891)年に建てられています。

廻船問屋として積荷の米、味噌、縄、むしろ、食料品などを保管しました。

また明治後期には、漁場の大漁にも恵まれ、儲けた金で小樽はもとより道内各地の土地を買い占めて行きます。

大正9(1920)年に道庁が50町歩以上の大地主を調査した時、小樽には山田吉兵衛ら6人いたうちの筆頭が木村圓吉でした。

本業の水産業では最終的に22ヶ統の網元になりか、道内鰊漁獲高50万石の1割、50000石を取る最大の網元であり、450人の漁夫を使っていました。

6代目圓吉は四男で、小樽にフェリーを誘致したのは小樽商工会議所会頭の頃です。

ガラスの街おたる(北一硝子3号館)

ガラスの街小樽、というイメージをつくっているのが手造りガラス製品で有名な北一硝子です。

魚の倉庫を改造した3号館はヨーロッパの中世のお城のイメージです。

基礎と屋根以外は昔のまま保存されていて、高い吹き抜けになっています。

ここには北欧のガラス工芸品がそろい、北一ガラスオリジナルの石油ランプが約数百個、照明として使用されて、パステルのような微妙な色のグラスやランプ、小物類は見ているだけでも楽しいです。

ホール(喫茶)ではクラッシックコンサートなどの催し物も行われます。

北一ガラス

オランダやデンマークなどで集めた、600点のランプをはじめ、食器、ガラス工芸など、1万6000点が展示されています。

もちろん、オリジナル商品もたくさんあります。

小樽では、レトロブームということから、古い建物を利用した、ホテルやレストラン、あるいは土産物店があちこちに建てられていますが、北一ガラスは、その草分けとも言える観光名所になります。

硝子の歴史

硝子はエジプトやメソポタミアなどの古代オリエント文明に起源をもっています。

初期の段階では宝石や貴金属に近いものとして支配者階級の愛好品でしたが、採光硝子(窓)として普及するのは14世紀以降です。

日本では、天正3年(1575年)にオランダ人技師によって長崎で製造が始められました。

明治6年(1873年)に東京府北品川宿(現東京都品川区北品川)に民営の品川興業社硝子製造が開設され、大正9年(1876年)に工部省がこの製造所を買い上げ官営になりました。

19世紀末には都市化にともない採光用の板硝子が普及し、板硝子と硝子器は分化していきました。

小樽と硝子

昭和40年代に高度経済成長期をとげてきた日本のスクラップ&ビルド傾向の頂点にあって、振り返れば小樽のロケーションは「古いものが残され、暖かく、懐かしく、郷愁を誘う」ものでした。

この時代は機械によるプラスチック・ステンレス・セラミックなどといった新素材に対して、手作りによるローカルな素材としての硝子の様々な展開が小樽から発信されました。

硝子製造

明治34年(1901年)に設立された浅原硝子は、道内の硝子器製造業界では草分けで、現在唯一の漁業用浮球工場として、また小樽雪あかりの路の運河にちりばめられた浮球製造で有名です。

浅原硝子は博多で生まれた浅原久吉氏が博多や大阪で腕を磨き、小樽の富岡町で窯を開いたのがはじまりです。

明治年代の小樽近海はまさに鰊漁の最盛期で、当初網の位置を確認するために水に浮く桐などの木が使用されていましたが、水が染みこまず絶対に浮く浮球は鰊漁師にとっては重要な道具になっていました。

したがって浮球の生産に成功した久吉氏は鰊と硝子を結び付けた小樽の硝子の元祖といえるでしょう。

硝子販売

昭和9年(1934年)に浅原硝子は現在の天神町に移転しますが、浅原久吉氏は製造と販売を分離し、久吉氏亡き後、製造は2代目久吉氏、販売は弟久重氏が継承します。

この販売会社が後の北一硝子です。

鰊の漁獲量は昭和年代には不安定になり、したがって浮球需要も下火になっていきましたが、昭和40年代に小樽のレトロブームの火付け役となったのは、まさに稲穂町で馬そりランプをディスプレーしていた北一硝子でした。

以後北一硝子は昭和58年(1983年)に境町の木村倉庫を譲り受け三号館を開設したことが、多くの人々に「小樽の硝子」の魅力を見せつけ、まさに小樽観光の牽引役を果たしてきました。

スタジオ(工房)・グラス

硝子を素材としたスタジオ・グラスいわば立体造形のアートとして認められてきたのは、1960年代のアメリカでした。

ヨーロッパの伝統から発し、アメリカで起きたスタジオ・グラス・ムーブメントは世界に波及し、日本でも昭和47年(1972年)に「日本ガラス工芸協会」が発足します。

昭和49年(1974年)本邦初の「日本のガラス展」に出品して注目を浴びたのが浅原千代治氏です。

千代治氏は昭和54年(1979年)に小樽に「グラス・スタジオ・イン・オタル」を設立します。

硝子の街へ

これら3人の浅原氏の独自の活動が小樽の街に硝子ムーブメントを起こしていきました。

以後、様々な硝子業務が小樽から発信していきます。

古い町並みのロケーションや技術を磨く遺伝子が、全国の硝子関係者に大きな影響を与え、同時にビアグラス、トンボ玉、ガラス皿、オブジェなど小樽の硝子の層を厚くしています。

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