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北海道『小樽の歴史』です。【小樽】
北海道『小樽の歴史』です。【北海道小樽個人観光ジャンボタクシー高橋】
小樽の歴史
ここ小樽に、和人が姿を見せるようになったのは、今から320年ほど前の寛文9年(1669年)松前藩(氏家氏の知行場所)と、アイヌの人達が交易を始めてからの事です。
しかし、松前藩に雇われた商人や、ニシン漁の人達が、おおぜいやって来るようになったのは、それから100年も後のことで、しかも、当時は、和人の定住を認めていませんでしたので、秋になると、みんな引き上げてしまい、もとの静かなアイヌコタンに戻るという状態でした。
和人の定住が許されたのは安政3年(1856年)明治維新のわずか12年前です。以来、地理的条件にもめぐまれて港として、発展をしてきました。
小樽ルネッサンス
かつて日本海に面した町はニシンで栄え、「鰊御殿」という当時の繁栄を偲ばせる建物が、今も海岸に見る事が出来ます。
しかし、追いニシンといって江戸時代から昭和の初期にかけて獲られたニシンも、時代を経て北へ北へと漁場が移動したのです。
小樽の漁場は江戸から明治にかけてニシン景気で湧いた時代で、勿論、大勢のヤン衆たちで浜は大賑わいでした。
その上、日本海の代表的な港である小樽港は明治32年には国際貿易港に指定され、内外の船の出入りが頻繁となり、物資の輸送も道内・道外からの物が小樽に集まってくる様になりました。
如何に小樽の港が繁栄していたか想像に難くないと思います。
物資と人の動きは必然的に金融関連の進出を促し、「行政の中心は札幌」「商業の中心は小樽」と定義付けるかのように北のウォール街と言われ、中央の銀行の出先は、ほぼ揃っておりました。
そんな中で、明治から昭和初期にかけて繁栄した小樽は様々な文化を残しました。
北海道内初の鉄道の敷設、港の整備と小樽運河、石倉庫群や民家・料亭も含めての歴史建物の数々、食文化、能、神楽など、両手に余る程の様々な方面の文化の発展を見たのです。
しかし、戦後の小樽はそれまでの歴史が止まったかの様に、明治・大正の建物はそのまま残され、今日を迎えたのです。
しかし、何が幸を生むかわからないもです。
小樽運河の埋め立てか、保存かの賛成・反対の両派の意見が対立するうち、小樽は小樽ルネッサンスに目覚めたようです。
過去の歴史の証を抹消することは、未来にきっと禍根を残すということに多くの人々は気付いたのでしょう。
古い物への郷愁は若いとか年寄りとかは関係なく、人々のルーツであり、歴史の生き証人に他なりません。
日夜、観光客でごった返す小樽の街の様子は、小樽っ子には冷たい見方をする方もいることと聞きますが、戦後の長い間、斜陽化の波が押し寄せていた頃を思えば、確実に笑顔で迎えてくれる人懐っこい小樽の人に、出会うことが出来る様になりました。
小樽の街並に入ると石造建築が建ち並び、まるでイギリスの何処かの街を連想する雰囲気を持っております。
石造建築ばかりではなく、レンガ建築・大理石建築・コンクリート建築など、当時の建築の粋を集めて、豪華で合理的に風土に合った建築方法で建てたものが、少なくても100棟以上、かつてのウォール街に残されております。
これらの建物はここ数年の間、随分様変わり致しました。
それと申しますのも歴史的建造物への「理解と利用」を両面から考慮したからです。
旧日本銀行小樽支店は金融資料館へ、旧拓殖銀行の建物はホテルからニトリ美術館へ、旧北海道銀行の建物は中央バス本社へ、旧第一銀行の建物はトップジェント紳装へ、旧三井銀行はさくら銀行、そしてニトリ美術館へと名を改めるなど諸々、上げれば切がありません。
北海道の方言
北海道の方言についてお話いたしましょう。
「言葉はお国の手形」とかいいますが、言葉には、生まれ育った土地のナマリや特徴があり、その人の故郷がわかるようです。
北海道には明治の初め、東北はもちろん、日本各地から大勢の人たちが移り住み、それぞれ出身地の言葉で話していました。
しかし、言葉がちがうと気持ちの通じないことも多く、月日を重ねるごとに、次第にお国言葉は姿を消して、標準語に近い、北海道の共通ごが生まれたのです。
標準語に近いとは言っても、北海道の風土に育った言葉も残っておりますので、いくつかご紹介致します。
代表的なものに「シバレル」という言葉があります。
「今朝はシバレルねー」とか「水道がシバレル」などと、きびしい寒さのことを表現します。
気温がマイナス10度~20度にもなりますと、「寒い」とか「凍る」などといった言葉ではいいつくせないのです。
また、「気持ちが良い」とか「ゆったりする」という意味で「アズマシ」という言葉があります。
旅行などから戻ってきて「あぁ我家はアズマシイね」とか、乗り物に乗ったとき、気づかいをせずに、スムーズに座れた場合には「アズマシク座れるね」などといいます。
そのほか、夢中になって何かを行うことを「ハッチャキになる」、物を交換することを「バクル」、徒競走などの最下位を「ゲレッパ」、捨てるを「なげる」など、本州のお客様にはわからない言葉も結構あるようです。
言葉は同じですが、意味や使い方がちがうものもあります。
北海道では疲れたときに「あぁ、コワイ」といいますし、手袋をハメルのを「手袋をハク」といいます。
このほか、シシャモ(柳葉魚)、マキリ(小刀)、トッカリ(アザラシ)、チップ(ヒメマス)など、アイヌ語がそのまま使われたり、明治の初め、外国から入ってきた「プラオ」「サイロ」などの外来語が今なお残っております。