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今年3回目のキノコ🍄狩りです。【小樽観光貸切タクシー】
北海道小樽観光貸切個人タクシー高橋の今年3回目のキノコ🍄狩りです。
は~い 山菜採り大好き高橋タクシーの今年3回目のキノコ🍄狩りで~す。
何時もの様に、5時に小樽自宅出発で、またまた、あっちの山こっちの山と山を転々として、歩き回ること約5時間、今日の狙いはチャナメ茸でしたが・・・・
さて結果はどうなったか???
予定通り、チャナメ茸採れましたが、今回大量に採れたのは、キナメ茸でした。
\(^o^)/🙌🙌🙌
他にラクヨウキノコが、味噌汁1回分採れました。(落葉キノコは、そろそろシーズン終わりで~す。)
此方がキノコ工場では一切出来ない、落葉キノコです。市場に出回っているものは、すべて野生のもので~す。🍄🍄🍄
此方は、野生のエノキで~す。まだ出たばっかりで、少し小さいですが、小さい物は次回に残して来たので、この次に期待出来ます。(野生のエノキは工場大量生産の物とは形もゼンゼン違いますねぇ~)
此方が今日の狙い、チャナメ茸で~す。出汁が良くでます。(まあまあの収穫量でした。)
そして此方が今回1番収穫量の出始めたばかりのキナメ茸で~す。
味噌汁が最高で~す。(^_^)v美味しい😋よ!!
約5時間の山歩きでヘトヘトですが、今回も歩きがいが有る収穫量でした。
\(^o^)/🙌🙌🙌
山菜採り大好きな、髙橋タクシーでした。(^_^)v
小樽ルネッサンス
かつて日本海に面した町はニシンで栄え、「鰊御殿」という当時の繁栄を偲ばせる建物が、今も海岸に見る事が出来ます。
しかし、追いニシンといって江戸時代から昭和の初期にかけて獲られたニシンも、時代を経て北へ北へと漁場が移動したのです。
小樽の漁場は江戸から明治にかけてニシン景気で湧いた時代で、勿論、大勢のヤン衆たちで浜は大賑わいでした。
その上、日本海の代表的な港である小樽港は明治32年には国際貿易港に指定され、内外の船の出入りが頻繁となり、物資の輸送も道内・道外からの物が小樽に集まってくる様になりました。
如何に小樽の港が繁栄していたか想像に難くないと思います。
物資と人の動きは必然的に金融関連の進出を促し、「行政の中心は札幌」「商業の中心は小樽」と定義付けるかのように北のウォール街と言われ、中央の銀行の出先は、ほぼ揃っておりました。
そんな中で、明治から昭和初期にかけて繁栄した小樽は様々な文化を残しました。
北海道内初の鉄道の敷設、港の整備と小樽運河、石倉庫群や民家・料亭も含めての歴史建物の数々、食文化、能、神楽など、両手に余る程の様々な方面の文化の発展を見たのです。
しかし、戦後の小樽はそれまでの歴史が止まったかの様に、明治・大正の建物はそのまま残され、今日を迎えたのです。
しかし、何が幸を生むかわからないもです。
小樽運河の埋め立てか、保存かの賛成・反対の両派の意見が対立するうち、小樽は小樽ルネッサンスに目覚めたようです。
過去の歴史の証を抹消することは、未来にきっと禍根を残すということに多くの人々は気付いたのでしょう。
古い物への郷愁は若いとか年寄りとかは関係なく、人々のルーツであり、歴史の生き証人に他なりません。
日夜、観光客でごった返す小樽の街の様子は、小樽っ子には冷たい見方をする方もいることと聞きますが、戦後の長い間、斜陽化の波が押し寄せていた頃を思えば、確実に笑顔で迎えてくれる人懐っこい小樽の人に、出会うことが出来る様になりました。
小樽の街並に入ると石造建築が建ち並び、まるでイギリスの何処かの街を連想する雰囲気を持っております。
石造建築ばかりではなく、レンガ建築・大理石建築・コンクリート建築など、当時の建築の粋を集めて、豪華で合理的に風土に合った建築方法で建てたものが、少なくても100棟以上、かつてのウォール街に残されております。
これらの建物はここ数年の間、随分様変わり致しました。
それと申しますのも歴史的建造物への「理解と利用」を両面から考慮したからです。
旧日本銀行小樽支店は金融資料館へ、旧拓殖銀行の建物はホテルからニトリ美術館へ、旧北海道銀行の建物は中央バス本社へ、旧第一銀行の建物はトップジェント紳装へ、旧三井銀行はさくら銀行、そしてニトリ美術館へと名を改めるなど諸々、上げれば切がありません。
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