
帯広市幸福町東1線に有る、旧国鉄広尾線・幸福駅です。


幸福駅
国鉄旧広尾線・幸福駅です。
もともと、この辺りは、幸震と呼ばれていたのですが、福井県からの入植した人が多く、幸震の幸と福井県の福を1文字づつ取って、「幸福」と改めたものです。
愛国駅と幸福駅の切符が、急に売れ出したのは、オイルショック直後の昭和49年3月ころからでした。
釧路鉄道管理局広報課の職員が、たまたま、愛国と幸福の駅名を雑誌に紹介したのが、きっかけとなって、「愛の国から幸福行き」の切符ブームをまきおこしたのです。
全国各地から旅行者が訪れ、切符の注文が殺到して、それは大変な人気を集めました。
切符を買い求める理由も「嫁に出す娘にぜひ持たせてやりたい」といういじらしい親心から、「開店記念に配りたい」という商魂たくましいものまでさまざまだったようです。




それまでは、1日20人たらずの利用客しかなかった小さなローカル駅が、一躍脚光を浴び、1ヵ月間の切符の売り上げが、30万枚を超えた月もあったといいますから、まさに爆発的なブームでした。
昭和62年2月、この駅のある広尾線は、廃止になってしまいましたが、それまでの切符の売り上げ枚数は、ざっと1353万枚、13億円にのぼるそうです。
現在でも幸せを求める人々のために、乗車券と入場券をセットにした「愛のペアーキップ」が販売されています。


幸福駅
廃線になっても利用客が途絶えない駅は?の質問に答えられる人は?十勝では例え旅行者でも、すぐに返事が帰ってくるほど有名な駅が、「国鉄旧広尾線・幸福駅」です。
帯広から広尾町まで運行されていたローカル線は昭和62年2月1日に廃止となりました。
そしてバスへ転換されてからも、利用客は相変わらず途絶えませんでした。
この線路には幸福駅ばかりではなく、縁起のよい名の駅が多くあり、「大樹」「新生」「愛国」がありました。
「愛の国から幸福」「新生から大樹」の二種類の切符が大人気でした。
しかし、国鉄時代の財政のひっ迫していた状況で、惜しまれながらも廃止路線となってしまいました。廃線当時、活躍していたディーゼルカー・朱色の「キハ22」が、かつてのホーム・木造の駅舎が当時のまま保存されており、現在は「鉄道公園」の名で親しまれております。
昭和48年3月、NHKテレビ「新日本紀行」で、「幸福の旅」と題して、帯広市幸福地区の紹介をしたことが、全国に幸福ブームをもたらす切っ掛けを作ったと言われております。(諸説有る。)
また、時を前後して、日本経済がうなぎのぼりかに見えた中で、オイルショックが起きます。
不安定な世情に「細やかでも良い」と、幸せを求める国民感情、一気に爆発したのでは?と、幸福駅の大ブームが起きました。
売れに売れた幸福駅のチケット、当時、国民の大多数が所持して居たのではないでしょうか。
それくらい廃線後も、愛国駅ー幸福駅付近のおみやげ物店が、大量に買い込んでいた3万枚もの切符が売れたという話もありました。
でも、鉄道営業の原則に反するという理由で、廃線の年の3月末で、発売が終了しました。
「幸福駅の切符は」現在もキーホルダーなどに加工され売られておりますが、昔のブームほどでは無いですが、今も相変わらず、幸福を求めて訪れる人が絶えません。

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