北海道札幌小樽観光タクシー高橋の登別温泉・滝乃家さんへお客様を送迎しました。
登別温泉滝乃家さんへお客様を送迎しました。
おはようございます。
今日は、登別温泉で一番の宿、
登別温泉滝乃家さんに、お客さんを迎えに来ています。さすが登別温泉一番の宿滝乃家さんですね凄い素晴らしいお宿です。‼😱😵
泉質は、食塩泉・鉄鉱泉・ラジウム泉・硫黄泉の4つです。
登別温泉
地獄谷から流れでる硫黄泉をはじめ、食塩泉・明礬泉・ラジウム泉など11種類もの温泉が湧きだしています。正に温泉のデパートです。
温泉として利用される様になったのは、今から100年以上も昔の事で、当時は、露天風呂に、屋根をかけた小屋がポツンと建っていただけでした。今では大きなホテルが立ち並び、全国にその名が知られる観光地として、賑わいをみせています。
登別の地名は、アイヌ語の「ヌプリぺツ」水の色の濃い川から付けられたものです。
ただ、このヌプリぺツ、いわゆる登別川の本流は、温泉街を流れていません。そのかわり支流で「薬の流れ下る川」という意味を持っている、クスリサンベツ川が、昔から温泉として利用されていました。
温泉開祖と開湯の祖
登別温泉を開いた人、開祖は、安政5年(1858年)、この地に湯宿を建てた滝本金蔵さんとされて、長い間信じられ、温泉街にある湯沢神社にも、金蔵さん神様として祀られています。
ところが昭和55年、町の郷土研究家が、古い書物を調べていたところ、ここを視察した箱館奉行・村垣淡路守の公務日記の中に、金蔵さんが入る4カ月、すでに近江商人、恵比寿屋岡田半兵衛さんの湯治小屋があったことが記されていました。これには、町の人もビックリしました。
しかし、今の登別温泉発展の基礎を築いたのは、何と言っても滝本金蔵さんなので、金蔵さんはこれまでどおり「開祖」。
それかと言って、最初に湯治場を開いた、岡田半兵衛さんの功績も、無視は出来ないと言う事で、半兵衛さんは「開湯の祖」と呼ぶ事で落ち着きました。
「温泉開祖」と「開湯の祖」ちょっとややこやしいお話です。
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