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倶多楽湖です。【登別温泉・白老町】
倶多楽湖です。【登別温泉・白老町】
登別温泉近くの白老郡白老町に有る、倶多楽湖です。
周囲8㎞の小さなクッタラ湖で、形はお鍋のように円く、このクッタラ湖はカルデラ湖の見本といわれています。
クッタラ湖の周りは急な崖になっていて、水の出入りもないため、クッタラ湖は透明度が高く、真夏でも水温2度~4度の、青く澄んだ水をたたえています。
クッタラ湖にはヒメマスや、めずらしいエゾサンショウウオが生息しています。
クッタラ湖
クッタラ山はクッタラ火山の外輪山で、このように窪地には今から4万年前の大きな噴火によって山頂部分が陥没して出来たカルデラ湖・クッタラ湖です。
ほぼ円形の美しい美しい湖で、原生林に覆われた外輪山に囲まれた周囲8㎞、水深148mと深い湖です。
水面標高は277m、クッタラ山の高さ534mですから、噴火によって400mもの大きな穴が開いたものと思われます。
その後、火山活度がクッタラ湖の西側に移動し、現在でも噴煙を上げる地獄谷・日和山・大湯沼が誕生したそうです。
それからが東洋一と言われる登別温泉の熱源であり、1日24時間およそ1万tの湯を湧出しているのです。
山は小粒でも一旦活動を始めると、地下のマグマの働きによって、辺りの地形を見る間に変化させる自然の威力は、計り知れないものがあります。
クッタラ湖は外界の川が入る事のない小さな摩周湖といった湖で、環境庁の水質調査で平成8年から3年連続、全国一と返り咲き、1位と2位を行ったり来たりしています。
この湖はプランクトンなどの生息が乏しく、魚の住めない死の湖として長い間、人間とのかかわりを持たない湖でした。
クッタラ湖のヒメマス(チップ)
クッタラ湖は毎年5月中旬から、道内トップをきってヒメマス(チップ)釣りが解禁(7月31日まで・・・入漁料1500円 要確認おねがいします。・・・胆振中央漁協などが漁業権を持つ)となり、湖は1年で一番賑やかになシーズンを迎えます。
今から20数年前、虎杖浜漁協が放流したヒメマスが自然繁殖したもので、約20cmほどの魚体で多い人で1日、200匹以上釣る人がおり、まだ肌寒い季節ながら大変人気を呼んでいます。
かつて魚の住まない湖と言われたクッタラ湖にヒメマスが生息するようになったのは、こんな話が残されています。
小樽の北海道庁水産学校長で、北大の講師を兼務していた中尾節蔵(なかおせつぞう)先生が、養殖事業が可能かどうか調べる為に、初めて湖を訪れたのは明治40年でした。
その頃の湖にはエゾサンショウウオが生息するだけで、他の魚は見当たりませんでした。
人影のない寂しい湖畔に家を建て、明治42年2月、青森県十和田湖の「我、幻の魚(うお)を見たり」で有名になった和井内貞行(わいないさだゆき)からヒメマスの卵100万粒(りゅう)を分けてもらい、養殖を試みました。続いて明治43年、44年と湖に300万の稚魚を放流しました。
ヒメマスは順調に育ち、大正9年には体長64cmの大物が取れるまでになりましたが、何せ山の中、交通は不便、魚を売る難しさなど、先生は養殖事業を断念し、北大の講師に戻ってしまいました。
しかし、中尾先生に代わって、今度は妻・トメさんがクッタラ湖と共に生きる道を選びました。
トメさんは湖畔の家に住み、木を伐採し炭焼きで生計を立て、先生の留守を守り通したのです。
「沼の奥方(おくがた)」の愛称で親しまれながら、昭和17年、63歳の時、湖畔の小屋で1人あの世へと旅立ちました。
後、「私の亡骸(なきがら)はクッタラ湖に沈めて下さい」と言う遺言に従って、遺骨は湖底深く沈められ、夢多い生涯を閉じました。