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新千歳空港・展望デッキの写真です。【新千歳空港送迎ジャンボタクシー】
新千歳空港送迎個人ジャンボタクシー高橋の新千歳空港・展望デッキの写真です。
新千歳空港展望デッキに来ています、何故こんなに大きく重たい物が空を飛ぶんでしょう?不思議ですね😱人間って凄い❗
新千歳空港観光案内です。
千歳市の火山灰地の中につくられた飛行場新千歳空港です。
面積はおよそ1400万㎡(民間部分168万㎡)、これは成田空港に次いで、新千歳空港は、日本で2番目の広さです。
弓なりになった新千歳空港の建物には、大きな吹き抜けのセンタープラザを中心とした、ショッピング街、飲食街が並んでおり、小さなまちのようです。
初めて飛行機が着陸したのは大正15年で、小樽新聞社が、鉄道開通を記念して、歓迎飛行をすることになり、飛行機を間近に見たい地元の人達が、千歳市で労働奉仕で滑走路を造ったのが始まりです。
空港2階には、当時の複葉機「北海道1号機」も展示されています。
その後、昭和12年に札幌~東京間を飛びましたが、そのころの時速は170㎞、6人のお客様を乗せて6時間余りもかかったそうです。
只今は、東京まで90分足らず、利用者も年ごとに増え、日本1位のドル箱路線に変わり、国内はもちろんハワイ、香港、韓国など海外とも結ばれております。
千歳市
JR千歳線、新千歳空港、国道36号線、北海道縦貫自動車道、と交通網の張り巡らされた千歳市は、他市町村からも注目の目で見られている自治体で、人口は約9万6千人を超える勢いで増加し、中堅都市として着実に発展を遂げています。
製造工場の誘致、新興住宅地の造成、マンション、ビル建設と日夜、人の動きが激しく、今後の発展が益々、期待されています。
ところで、以前から千歳と言えば自衛隊の街というイメージが強く、事実、陸上自衛隊7師団と2つの駐屯地、航空自衛隊第2師団が駐屯しています。
千歳は大正15年、飛行機が見たいと言うたったそれだけの思いで、千歳村の住民の奉仕と汗によって面積約10ha、長さ約108mの滑走路を20日間という短い期間で作ったと言います。何とそれが千歳飛行場の始まりでした。
昭和14年10月、千歳海軍航空隊が開設され、悪夢のような戦争の時代から、終戦を迎えた昭和20年10月、今度は連合軍の米軍が進駐するという事態が起きました。
戦後、平和を願う千歳の街も、米軍の進駐は大きく街の様子を変えてしまいました。
朝鮮動乱が起きたのは昭和25年、その翌年5月、アメリカのオクラホマから米軍が新たに12000人も進駐し、皮肉にも戦争がこの千歳に好景気をもたらしたのです。
昭和26年9月、千歳飛行場は北海道空港に名を改め、同年10月、千歳~羽田間に日本航空が就航、昭和29年、陸上自衛隊が駐屯することとなり、現在に至っております。
時は流れ、昭和33年市制施行、昭和38年、千歳空港ターミナルが完成し、空港の街として新たな歩みを始めました。
飛行機も大型化の時代を迎え、プロペラからジェット機へ大きく変化を見せました。
昭和45年、米軍のクマ基地が閉鎖となりました。(完全撤退は昭和50年6月)昭和20年9月アメリカの軍用機で数人の将校が千歳に来てからおよそ30年間、進駐軍に大きな影響をを受けていた千歳は、昭和28年当時、世界一、悪の街と、海外の雑誌に載るほど荒れていたこともありました。
それも今は懐かしく、新しい街づくりが平和な中で進められてきました。
空港が整備されることによって、隣接する大地は臨空工業団地として造成され、新しい企業が誘致され、現在は産業都市として大きく飛躍しております。
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