測量山

アンテナが沢山建っている山は、測量山(199.6m)といいます。

明治のはじめ、港や道路をつくったときに、この山を基点ととして、測量をしたところから付けられた名前で、当時は『目当て山』とも呼んだそうです。

また、アイヌ語では、沖合から最初に見える山『ホケシ・サン・ぺ』(先に出て来るもの)、鳳凰がすむ山、という意味を持った『鳳栖山』幕末の探検家たちが名付けた『絵鞆山』、『八重山』、さらに現代風の『テレビ山』など、沢山の呼び名を持っています。

室蘭出身の作家八木義則は、小説「海明け」の中で「この200mほどの高さを持った小さな山の頂上は、中学時代の史郎にとっては(もの思う場所)だった」と書き、さらに、「その頂上からは、市街と港がひと眼で見おろされる。

北正面に鷲別岳、やや西寄りに有珠山、そのはるか後方に、蝦夷富士といわれる羊蹄山、南面すれば噴火湾をまたいで駒ヶ岳、その東端には、渡島半島の恵山岬が、遠く青くかすんでのぞまれる」と描写しています。

与謝野鉄幹・晶子夫婦も測量山に登り、

『我立てる 即涼山の 頂の

    草のみ青き 霧の上かな』 (鉄幹)

『灯台の 霧笛ひびきて淋しけれ

   即涼山の 木の下の路』 (晶子)

と歌っています。

どうやら2人が訪れたときには、せっかくの景観も、霧で見えなかったようです。

測量山 (199.6m)

絵鞆半島の丁度中ほど頂上部に、数本の塔が建っている山は測量山です。

明治5年、室蘭と札幌を結ぶ道路建設の折り、アメリカの測量技師・ワーフィールドはこの山に登り、道路計画等の見当を付けたことから見当山と呼ばれていましたが、後日、測量山に改めたそうです。

測量山のライトアップ

昭和63年の「港まつり」に初登場してから、今日まで毎晩ライトアップは続けられています。

最初は北海道電力室蘭営業所の計らいで始めたことですが、昭和63年11月から市民組織「室蘭ルネッサンス運動」が引き継ぎ、現在も赤、青、黄色と色とりどりのライトが夜空に映えて美しく、市民を始め、この街を通過する車の人も、列車の窓から見る人も美しい光景に、しばし目を奪われるのです。

市民組織の目的は室蘭の街の再生です。

そして、希望の明かりは斜陽化している室蘭の街を、少しでも活性化しようという発想から生まれたもので、市民参加を呼び掛ける運動にもつながりました。

1本1本の鉄塔のライトは市民の、また、近隣の市町村の住民のお祝いのライトでもあります。

誕生日、金・銀婚式、結婚記念日、入学・卒業祝い、その他様々な祝いのライトを一晩4000円で照らしてくれるのです。

室蘭市

港に憩う船、鉄の街の象徴である高い煙突、大きな工場群もこうして高台から見ますとなかなかの眺めです。

JR室蘭駅は、絵鞆半島のほぼ中間に位置しており、その周辺は市役所など行政の中心地です。

しかし、かつての賑わいは無く、シャッターの下りた店舗が目につき、とても寂しい限りです。

そこで心ある市民が一丸となって行っているのがルネッサンス運動で、鉄冷えのあおりを受けた街をよみがえらせようと様々な努力を続けています。

そんな中でも今、話題なのが焼き鳥で、室蘭の焼き鳥は鳥肉の代わりに豚肉、ネギの代わりにタマネギを使用し、その上、洋がらしを付けて食べる、即ち「豚肉、タマネギ、洋がらし」という組み合わせが室蘭風焼き鳥、なのです。

初めて口にする人はとても驚くそうですが、一度食べたらトリコになるほどの旨さとか。

なぜ室蘭の焼き鳥はこんな組み合わせになったか調べたところ、最初は室蘭は渡り鳥の中継地で、昔から鳥を捕まえては焼き鳥として売っていたそうです。

ところが太平洋戦争中に軍靴を豚皮で作っていたことから、養豚がショウケイ奨励されるようになり、皮をとった後の肉や内臓を、料理人が焼き鳥と一緒に売り出しました。

当時、豚肉は安く高カロリー、食料難の時代でしたから、製鉄所などで働く労働者にとっては願ってもないエネルギー源となりました。

やがて子供や女性も食べやすい精肉が焼き鳥に使用され、徐々に室蘭市民に定着していったということです。

因みに豚の精肉と言えば豚のバラ肉ですが、室蘭の焼き鳥は肩ロース肉を使用し、タレは醤油と酒とみりんにゴマなどを加えて豚肉にからめ、このタレ付きで焼くのが主流だそうです。

カラシについては焼き鳥は昔、屋台でおでんと一緒に売られており、お客様の誰かがおでん用の洋ガラシを付けたのでは!?と。

真相の程はわかりません。

余談ですが、全国で余り知られていませんが、平成18年2月、青森県八戸市において地元で愛され続けているご当地B級料理が集合し、王座決定が行われました。

その結果、室蘭の焼き鳥が見事『銅賞』を獲得しました。

全国から参加したのは10品で、1位は富士宮焼きそば、2位が横手焼きそば、3位が室蘭焼き鳥という順位でした。

翌年からは王座を勝ち得た街がグランプリ開催権が与えられ、平成19年2月は静岡県富士宮市で開催されました。

室蘭市

室蘭市の人口は、現在、約88000人で、10万人を切りました。

今から200年前、天然の良港として、世界にその名を知られた港町で、明治の半ば、北海道の石炭を道外、海外に積み出す港として目覚ましい発展をと遂げました。

その後、鉄鋼業の進出と戦争景気で町は更に大きく飛躍し、戦争で得たもの、戦争で失ったもの、大きな転換期を迎えながらも見事に戦後復興を果たした室蘭市は、人口が約17万人に膨れ上がるほどの勢いでした。

高度成長期にあった日本に、やがて不況の荒らしが吹きます。

それは石炭産業の衰退、昭和48年頃の鉄冷えの影響をまともに受け、企業縮小と合理化で人員整理が行われ、その為に室蘭の街はかつての賑わいはどこへやら、商店街はシャッターの下りた店が目立つようになり、街の中心は灯が消えたような寂しさです。

その後、明治から街を支えて来た鉄鋼産業に新しく三菱製鋼が加わり、新日鉄の溶鉱炉を使用して操業を始め(平成6年4月頃)たことから、再び室蘭復活の灯火となりました。

こうして明治から育まれて来た基幹産業である製鉄をはじめ、鉄鋼、セメント、石油精製などの重化学工業を中心に、今では、官民一体となって新しい街作りに取り組み、企業の誘致、室蘭の観光に力を注いで、流通、リサイクル産業の拠点として新たな歩みを始めております。

また、高速道らも室蘭、伊達、長万部、大沼と延長され、かつて札幌から3時間30分を要した時間も、1時間40分という画期的な時間で結ばれ、室蘭の街も少しずつ元気を取り戻しております。

更に、昭和から平成、令和への時代の流れの中で、各市町村が力を注ぐ観光にも、室蘭は目を向けております。

平成10年6月に、白鳥湾に開通した白鳥大橋を始め、従来から室蘭の展望台として親しまれている測量山、そして絵鞆半島の外海に面している14km断崖絶壁や地球岬、金屏風、銀屏風などの観光資源が注目されています。

そして海上にも目が向けられ、室蘭沖のイルカ、鯨ウオッチングは全国トップレベルと絶賛されています。

重工業に頼っていた室蘭の新しい歩みとして大いに期待されます。

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