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松前町「桜」です。【松前町】
北海道観光貸切チャーター個人タクシー高橋の松前町「桜」です。
松前町の桜
200種、8000本といわれ、松前町の桜は、その種類の多いことで有名です。
そのため4月下旬から5月下旬まで、およそ1カ月にわたって、松前町の桜は、次々と咲き続けます。
中でも数が多いのは八重桜の南殿(血脈桜は南殿)という種類ですが、その他に、黄緑色の花をつける御衣黄、もっとも美しいと言われる普賢象、250枚(170~250枚)の花びらをつける菊桜など、美しくそして、珍しい桜でいっぱいです。
伝説・血脈桜
今から二百数十年前、松前城下の生符町(いげっぷ、現在の大磯)に柳本伝八という鍛冶屋がおりました。
若い頃から上方見物を夢見て一生懸命、精を出して働いておりました。
やがて跡取り息子が、家業を継ぎ永年の上方見物の夢がかなうこととなり、娘の静江を伴って松前を船出したのは春まだ浅い頃だった事でしょう。
見るもの聞くもの皆珍しい江戸を見物し、東海道を上ってお伊勢参り、京都の名所旧跡を訪ね、百万遍知恩寺(ひゃくまんべんちおんじ)松前光善寺の本山では、先祖供養にお花をあげさせてもらいました。
奈良をめぐり、吉野山に着いた二人は山を彩る桜の美しさに魅せられ、しばらく宿をとることになりました。
宿の近くに尼寺があり、若い庵主と娘の静江はたいそう仲良になりました。
やがて松前への帰郷の日が来ましたら、名残を惜しんで、若い尼僧は一本の桜の苗木を静江に手渡し「国に帰られたらこの桜を私と思って植え育てて下さい。」というのです。
松前に帰った親娘は菩提寺である光善寺前庭に植えてもらいました。
桜は毎年に美しい花を見せ、人々の目を楽しませるようになりました。
血脈桜記念保護林
松前の春を彩る桜の歴史は古く、主に京都、北陸地方等から移入されたと云われております。
この桜(樹種:サトザクラ)は松前一の桜の古木(推定樹林300年)で、松前を代表する品種「南殿(なんでん)」は、この血脈桜を親木にして増やされてきました。
高さ8m、東西17mに伸びる枝張りには、毎年5月には、満開の花を咲かせます。
この桜には、宝暦年間(1751年~1763年)に美しい乙女の姿を借りた桜の精が住職の枕元に現われ、血脈(亡くなった人が仏になれるようにお坊さんが与える書付)を授けられたことにまつわる伝説があり、桜の花の精によるものであるのか、今なお、その麗姿が見る者の心をとらえます。
ここは気候が温暖なうえ、松前藩は、古くから京都との関係が深く、藩主の奥方に、お公家さんのお姫様を迎えたことも、数回にわたってありましたので、その方たちが、都を偲んで桜の苗木を取り寄せたり、参勤交替で、江戸にでた藩主や、家来が大切に持ち帰ったりしました。
また、城下に住んでいた商人たちも、桜の種類と数を増やすのに一役買いました。
そして、集められた桜は、武家屋敷や神社・仏閣など、城下のあちこちに植えられ、毎年、賑やかな花見の宴が繰り広げられたそうです。
しかし、明治に入って松前藩がなくなりますと、町もさびれて、桜もいつか忘れられ、わずかに城跡や神社の境内に、かつての名残をとどめるだけとなりました。
その後、大正年間になって、鎌倉兼助という人が、当時ニシンの不漁などから、人々の心がすさんでしまったのを悲しみ、桜によって明るさを取り戻そうと考え、以来、50年間にわたって、松前桜の復活に全力を注ぎました。
おかげで、只今では爛漫と咲き誇り、かつての松前藩時代をしのぐ美しさを誇っています。
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