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松前城(福山城)です。【松前町】
松前町観光貸切チャタータクシー・ジャンボタクシー高橋の松前城(福山城)です。
松前町の松前城(福山城)
北海道に唯一、松前町に有る日本式のお城松前城です。
松前城は、外国船が頻繁に、北の海に姿を見せるようになった幕末の頃、北海道周辺の警備を心配した、幕府の命令でつくられたお城です。
この松前城がつくられるまでは、「館」と呼ばれる小規模なものでした。
新しい松前城の設計者は、当時江戸で3大兵学者(市川一学・平山子竜・清水赤城)という人です。
一学は、お城を築くのなら函館付近にと考えていたのですが、松前藩では、福山を離れることを嫌い、結局ここにつくる事になりました。
安政元年(1854年)今から140年前、5年の歳月と、10万両の費用をかけて完成したお城は、総面積が7万8000㎡、本丸・2の丸・3の丸に分けられ、16の城門と、高さ約16m、28畳敷の広間をそなえた、3層の天守閣、そして、2層の櫓を3つ持つ壮大なものでした。
仙台以北では最大、日本でもっとも北に有るこの松前城は、海の守りがおもなねらいでしたから、海岸に向いた3の丸には7台の大砲が配備出来るなど、最新の近代的築城法が採用されました。
しかし、せっかく完成したものの、安政元年には日米和親条約がむすばれて箱館開港がきまり、幕府は箱館奉行を置いて、蝦夷地を直接おさめる(2度目)事になってしまったのです。
そのため、松前城はわずかに、松前と江差地方を支配するだけの役目となり、さらに、その十数年後には、箱館戦争の舞台となって榎本軍の土方歳三らに占領され、明治8年には天守閣・本丸表御殿・本丸御門を残して、北海道開拓使の手によって、取り壊されました。
なお、残った天守閣は、昭和16年、国宝の指定を受けましたが、残念ながら昭和24年に焼けてしまい、本丸御殿も取り壊されております。
したがって現在、昔のまま残っているのは、本丸御門(唐破風づくりの表御殿正面玄関は城内に保存)だけですが、城跡は公園となっていて、由緒ある老木や遺跡とともに、かつての繁栄ぶりを伝えております。