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『日本のアスパラガス発祥の地記念碑』です。【岩内町】
北海道観光貸切個人チャータータクシー高橋の岩内町『日本のアスパラガス発祥の地記念碑』です。
日本のアスパラガス発祥の地記念碑
北海道を代表する初夏の味と言えば「アスパラガス」と答えが返ってくるほど、今では庶民の味として親しまれている農作物です。
この地位を経るまでには、紆余曲折があり、何にしても一流になるまでは苦労は付き物です。
そもそも、アスパラガスは今では全道で5000haを越える作付面積を有し、また、缶詰も全国の85%が北海道で加工されていると言いますから、栽培農家もアスパラガス生産に大いに力を注いでおります。
このアスパラガスの基礎を作ったのは、岩内町出身の今は亡き「農学博士・下田喜久三」です。
大正11年、北海道の冷害対策作物として日夜研究を重ね、寒冷な風土に耐えられ、缶詰加工出来る特性を備えた新品種「瑞洋種」の育成に成功した事から、アスパラガスの栽培に漕ぎつけたのです。
翌大正12年、現在の共和町に40haの直営農場を設けてアスパラガスの栽培に着手し、同時に一般農家にもその栽培を奨励しました。
最初は新しい物に手を出す農家は少なく、むしろ、戸惑いが多かったようです。
しかし、大正13年、岩内町に日本アスパラガス(株)が設立され、翌大正14年には缶詰の企業化に成功するという快挙を成し遂げ、アスパラガス産業を成功に結び付けました。
そして何よりも農家にとって救世主的作物となったのです。
この事実を世に知らめる為に昭和50年10月、「日本のアスパラガス発祥の地記念碑」が建立されました。
記念碑が建つ場所は、アスパラガス試作地域であったゆかりの地です。
碑文には下田喜久三博士のアスパラガスに情熱を傾けた事実が記されています。
なお、この記念碑が建てられるに至った過程には昭和40年7月、喜茂別町中山峠の一角に「アスパラガス栽培発祥地」の記念碑が建った事に端を発したのです。
この頃まだ、下田博士は存命中で、このニュースをお聴きなってどんな思いだったでしょうか。
岩内町のアスパラガスの関係者や、町の有志の方の心は穏やかでは無かったはずです。
悶々とした思いを抱きながら年月は流れ、昭和45年2月、下田博士は75歳でこの世を去りました。
その無念を晴らすべく岩内地方の農家の方や地元の業者が合い交わり、先人の功績を讃え、アスパラガス産業の発展を願って下田博士亡き後の昭和50年、記念碑の除幕式が行われたのです。
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