コース

札幌市内各ホテルor札幌駅~大通り車窓~時計台車窓~旧道庁写真タイム~小樽運河写真タイム~北一硝子三号館周辺散策1時間30分~小樽駅or小樽市内各ホテル

(逆コースも出来ます。)(駐車場、高速料金別)

時間内コース変更可能です。(^_^)v

料金

普通車タクシーお客様4名迄乗車可能です。3時間 ¥18900~

延長30分 ¥3150/ 延長1時間 ¥6300

ジャンボタクシーお客様9名迄ご乗車可能です。3時間 ¥26820~

延長30分 ¥4470 / 延長1時間 ¥8940

札幌時計台

木立に囲まれた赤い屋根の建物は、札幌のシンボル時計台です。

時計台の鐘がなる、大空高くほのぼのと┅歌われている札幌時計台は、明治11年、北海道大学の前身、札幌農学校の演武場として建てられ、時計と鐘が取り付けられたは、明治14年の事です。

明治39年にこの場所に移され、今も詩情ゆたかな鐘の音を響かせております。

昭和45年、国の重要文化財に指定され、現在は札幌歴史館として利用されています。

北海道道庁旧本庁舎

池の木々も紅葉しています。

長い間赤レンガの愛称で親しまれている、札幌北海道道庁旧本庁舎です。

明治21年、当時としてはモダンな建物として、人々を驚かせたそうですが、北海道の移り変わりを見つめて100年余り、今では、国の重要文化財に指定され、幕末から明治にかけての公文書や、北海道の歴史についての資料を保存する文書館として、一般に開放されております。

屋根の下に描かれている赤い星は、北極星を旗印とした開拓使のマークです。

まれに札幌ビールのマークだ!とおっしゃる方がありますが、それもそのはず、そもそも札幌ビールは、政府の指導によってつくられた、官営ビールが始まりでしたから、同じ星のマークを使っているのです。

赤レンガのすぐ後ろが現在の庁舎です。

小樽運河

大正12年、9ヵ年かけて埋め立てて完成したもので、小樽の全盛時代には、海と陸をつなぐパイプ役として、大きな使命を果たしていました。

しかし、今では、港の近代化と、荷役の機械化によって、その役目も終わり、周りの石造倉庫とともに、当時の面影を伝えております。
🚕🚕🚕

昭和41年に浮上した小樽運河の埋め立て問題は10数年の長い間、小樽の議会や市民、文化や歴史を主ずる人々の集団によって討議が続けられ、昭和55年半分埋め立てをして半分を保存するという都市計画が決定されました。

計画にそって工事は進められ、完成を見たのは昭和61年4月で、南側の運河・延長650mを幅20mに埋め立てられ、6車線の道道臨港線と散策路が建設されました。

やがて一般に公開されることによって、小樽運河周辺に観光客が急増し、夜は散策路に設置されたガス灯の淡い光を楽しみながら、散策する人が増えて来ました。

小樽市は北側の運河も道路拡張や散策路を設けるため、一部埋め立てる予定でしたが、全面的に取り止めととし、平成2年南側と同じ様に散策路やガス灯を設置し、南北延長1140mの散策路お目見えしました。

全面保存か埋め立てかで全国的な論争を呼んだ小樽運河は、小樽のアピールに大きくつながり、「ウォーターフロント小樽」としての活気を取り戻し、ここ2年~3年は500万人以上の観光客が小樽を訪ねております。

都はるみさんの歌う「小樽運河」の曲は懐かしい時代を偲ばせるノスタルジックな歌廻しと、今流行のセピア色が色めき立つムードが、そこ此処に感じさせてくれる素敵な歌です。

精進おとしの  酒をのみ

別の生き方  あったねとー

四十路半ばの  秋が逝き

セピア色した  雨が降る

イエスタディを  聴きながら

二人歩いた  あァ小樽運河

小樽北一硝子三号館

木村圓吉、天保元(1830)年青森県東津軽郡一本木村字大泊出身の大工木村円太郎が始祖。

弘化3(1846)年から春になると北海道の増毛で刺網によるニシン漁を営み、漁期が過ぎると青森に帰ってました。

5代目圓吉は幼名百太郎と称し、福島の漁家花田伝七の三男で明治25(1892)年22歳の時に木村円太郎の孫娘ミヤの婿養子になりました。

仲人は漁家の金澤友次郎でした。

ヤマシメ木村は明治24(1891)年に小樽に本拠を移しています。

現在の北一ガラス三号館の倉庫は旧木村倉庫で明治24(1891)年に建てられています。

廻船問屋として積荷の米、味噌、縄、むしろ、食料品などを保管しました。

また明治後期には、漁場の大漁にも恵まれ、儲けた金で小樽はもとより道内各地の土地を買い占めて行きます。

大正9(1920)年に道庁が50町歩以上の大地主を調査した時、小樽には山田吉兵衛ら6人いたうちの筆頭が木村圓吉でした。

本業の水産業では最終的に22ヶ統の網元になりか、道内鰊漁獲高50万石の1割、50000石を取る最大の網元であり、450人の漁夫を使っていました。

6代目圓吉は四男で、小樽にフェリーを誘致したのは小樽商工会議所会頭の頃です。

北一硝子

オランダやデンマークなどで集めた、600点のランプをはじめ、食器、ガラス工芸など、1万6000点が展示されています。

もちろん、オリジナル商品もたくさんあります。

小樽では、レトロブームということから、古い建物を利用した、ホテルやレストラン、あるいは土産物店があちこちに建てられていますが、北一ガラスは、その草分けとも言える観光名所になります。

北海道の地名

北海道には面白い地名がたくさんあり、そのほとんどはアイヌ語がもとになっています。

例えば「長・万・部」と書いてオシャマンベ、「美しい唄」と書いてビバイなど、数え上げたらきりがありません。

こういった呼び方を調べていくと、アイヌの人達がどれほど自然をよく観察して、地名をつけたのかが解ります。

そこが乾いた広いところなら「乾いた広い所」と呼び、河口が滝になっている川なら「出口が滝の川」と呼んで、よけいな形容詞をつけたりはしません。

小さなグループ生活を営んでいたアイヌの人達にとっては、そのグループだけがわかる、簡単な呼び名をつけただけで十分だったのでしょう。

今も残るアイヌ語の地名から、かつてのアイヌの人達の生活文化や自然の状態がわかるということは大変貴重なことだと思います。

ところで「北海道」の名付け親は松浦武四郎ですが、北海道の由来もアイヌ語から来ています。明治2年、新政府は「エゾ」を「北海道」に改めましたが、これは幕末に数回にわたって北海道を探検し、アイヌ民族にも深い理解を持っていた武四郎の考えが採用されたのです。

武四郎は「日高見」「北加伊」「海北」「海島」「東北」「千島」の6つの原案から「北加伊」を取り上げましたが、その理由は「アイヌ民族は自らの国をカイまたはカイノーと呼んでいた・・・」というのがヒントになったそうです。

また、「北加伊」が北海道に変わったのは、おそらく平安時代に全国を区分した名称の「東海道」や「東山道」などからきているのではないかと言われています。

北海道の地名はアイヌ語がもとになっているものが多いことはご紹介した通りですが、「北海道」もその仲間であることは余り知られておりません。

 

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