北海道富良野ルート8時間観光プランラベンダー パッチワークの丘TAXIコース
札幌駅or札幌市内各ホテル~岩見沢SAトイレ休憩~中富良野ファーム富田or上富良野フラワーランドor美瑛四季彩の丘(三カ所のお花畑から一カ所お選び下さい。)~美瑛町パッチワークの丘めぐり北西の丘展望台or美瑛町青い池(パッチワークの丘めぐりか青い池どちらかお選び下さい。)~岩見沢SAトイレ休憩~小樽駅or小樽市内各ホテル
(逆コースも出来ます。)(時間内コース変更可能です。)
料金
ジャンボタクシー お客様9名迄ご乗車可能
8時間¥71520 延長料金30分¥4470 1時間¥8940(駐車場、高速道路料金別)
普通車タクシー お客様4名迄ご乗車可能
8時間¥50400 延長料金30分¥3150 1時間¥6300(駐車場、高速道路料金別)
中富良野ファーム富田
故富田忠雄氏のラベンダー畑です。
昭和33年忠雄氏が結婚を記に念願だったラベンダー栽培を始める(10a)昭和40年7年を要しラベンダー畑を12haまで拡大する。
昭和45年富良野地方でラベンダー栽培がピークを迎え230ha250戸の農家が栽培、ラベンダーオイル生産量5トンとなる。
昭和47年合成香料や輸入香料の増加でラベンダーオイルの買い上げ価格が下がり採算がとれなくなりラベンダー作りを辞めて行く農家が急増します。
昭和47年~昭和48年富田氏も稲作で生計を立て、細々とラベンダー栽培をしていました。
昭和51年国鉄のカレンダーで全国に紹介され、次第に観光客訪れはじめ、徐々に富良野のラベンダー観光が増えて行きます。
昭和52年玄関先でラベンダーのポプリを販売。
昭和55年ラベンダーオイル抽出に成功る。
昭和59年化粧品製造業の免許取得。
昭和62年石鹸製造業の免許取得。
平成1年稲作を辞めラベンダーオイルやラベンダー製品の加工販売に専念する。
平成2年南フランスラベンダー生産組合よりラベンダー栽培の功労者に贈られる称号「オートプロバンスラベンダー修道騎士」授与されます。
今がう最高😃⤴⤴ラベンダーも凄く綺麗に咲き乱れています。😃✌🚕🚕🚕
今年一番のファーム富田の写真👀📷✨で~す。どうぞ👍
こちらは2016年の写真です。
此方は、彩りの畑の写真👀📷✨です。😃✌🚕🚕🚕
紫のラベンダー始め、白のカスミソウ・赤のポピー・ピンクのコマチソウ・オレンジのカルフォルニアポピーなど七色の花々が緩やかな丘を彩る、ファーム富田を代表する畑です。
上富良野フラワーランド
上富良野町に有る、総面積15haの上富良野フラワーランドです。
此方の花畑も大変スケールの大きい花畑となっています。
歩くのが大変なのでトラクターバスで園内1週しました。
トラクターバスから撮った花畑の写真👀📷✨です。😃✌🚕🚕🚕
美瑛町四季彩の丘
美瑛町に有る、美瑛町四季彩の丘です。
美瑛町四季彩の丘ラベンダー畑は後1週間位で見頃かなぁ~‼今日はちょっぴり早かった残念😱😨
広さ15㌶春から秋までの花の季節には数十種類の草花が咲き乱れる花の楽園です。🚕
美瑛町セブンスターの木
タバコのセブンスターのCMで登場した木です。
このかしわの木の為に美瑛町で駐車場までつくっています。
周辺の秋まき小麦が間もなく収穫の時期に入ります。
秋まき小麦は、秋に種をまいて、冬の積雪で麦踏みの変わりをする、栽培方法です。😃✌🚕🚕🚕
美瑛町ケンとメリーのポプラの木
此方は日産のケンメリスカイラインのCMで登場した、ケンとメリーのポプラの木です。
美瑛町に有る、日産ケンメリスカイラインのCMで使用された、ケンとメリーのポプラの木とその近くにあるポプラ並木です。
北西の丘展望台
美瑛町大村大久保協生に有る、北西の丘展望公園です。
残念ながら十勝連峰は、雲の中で見えませんでしたが、美瑛町の丘陵地帯の全景は、見渡せました。
😃✌🚕🚖🚕
美瑛町青い池
美瑛町に有る、青い池です。青い池は、昭和63年12月に十勝岳が噴火後、北海道開発局が火山災害から美瑛町を守るため、火山泥流を貯める施設として、早期に工事の完成が可能なコンクリートブロックによる、堰堤が平成元年6月に着手され、同年12月に完成、その結果、ブロック堰堤に水がたまり、何時の頃か「青い池」と呼ばれるようになりました。
水が青く見えるのはアルミニウムを含んだ成分が美瑛川と交わって、太陽からの光が水中のコロイド粒子と衝突し、色々な方向に散乱され、コロイド粒子が、光の散乱を促し、波長の短い青い光が散乱されやすいため、その光が私たちの目に届き、青く見えると言われております。
但し、水が青く見える原因について、過去に水質調査がされておりますが、明確な原因については解明されておりません。
十勝岳噴火後、自生した白樺のように、予期せず生み出された自然現象から生まれた神秘な場所です。
北海道の地名
北海道には面白い地名がたくさんあり、そのほとんどはアイヌ語がもとになっています。
例えば「長・万・部」と書いてオシャマンベ、「美しい唄」と書いてビバイなど、数え上げたらきりがありません。
こういった呼び方を調べていくと、アイヌの人達がどれほど自然をよく観察して、地名をつけたのかが解ります。
そこが乾いた広いところなら「乾いた広い所」と呼び、河口が滝になっている川なら「出口が滝の川」と呼んで、よけいな形容詞をつけたりはしません。
小さなグループ生活を営んでいたアイヌの人達にとっては、そのグループだけがわかる、簡単な呼び名をつけただけで十分だったのでしょう。
今も残るアイヌ語の地名から、かつてのアイヌの人達の生活文化や自然の状態がわかるということは大変貴重なことだと思います。
ところで「北海道」の名付け親は松浦武四郎ですが、北海道の由来もアイヌ語から来ています。明治2年、新政府は「エゾ」を「北海道」に改めましたが、これは幕末に数回にわたって北海道を探検し、アイヌ民族にも深い理解を持っていた武四郎の考えが採用されたのです。
武四郎は「日高見」「北加伊」「海北」「海島」「東北」「千島」の6つの原案から「北加伊」を取り上げましたが、その理由は「アイヌ民族は自らの国をカイまたはカイノーと呼んでいた・・・」というのがヒントになったそうです。
また、「北加伊」が北海道に変わったのは、おそらく平安時代に全国を区分した名称の「東海道」や「東山道」などからきているのではないかと言われています。
北海道の地名はアイヌ語がもとになっているものが多いことはご紹介した通りですが、「北海道」もその仲間であることは余り知られておりません。
此方は、ブルーリバーの美瑛川です。