モデルコースA
1日目 小樽駅or小樽市内ホテル~札幌市内観光~小樽市内観光~小樽市内宿泊
2日目 小樽~余市観光(マッサンのニッカウィスキーなど)~積丹町美国(観光船)~積丹岬~神威岬~ニセコルスツ~小樽駅or新千歳空港or札幌市内ホテル
(有料道路利用料金 駐車場料金 施設体験見学使用料金等含まれておりません)
写真は小樽雪あかりの路、ニッカウイスキー余市工場です。
小樽運河、大正12年、9ヵ年をかけて完成したもので、小樽の全盛時代には、海と陸をつなぐパイプ役として、大きな使命を果たしていました。
しかし、今では、港の近代化と、荷役の機械化によって、その役目も終わり、周りの石造倉庫とともに、当時の面影を伝えております。
埋め立てか、保存かの論争のあと残された部分は、昔にくらべると規模が小さくなり、幅は半分の20mに短くなってしまいましたが、埋め立てた部分は、道路と御影石を敷詰めた散策路、小樽の過去と未来を刻んだレリーフやブロンズ像、そして、ガス燈のあかりが揺れる、しゃれた公園に生まれ変わり、ロマンチックなムードをただよわせております。
モデルコースB
1日目 小樽駅or小樽港フェリーターミナル~小樽市内観光~余市観光(マッサンのニッカウィスキーなど)~積丹町美国(観光船)~積丹岬~神威岬~泊村ニシン御殿~岩内~ニセコパノラマライン(冬期間閉鎖の為夏期限定)~ニセコ宿泊(ラフティングや熱気球体験等夏期限定)or洞爺湖温泉宿泊
2日目 ニセコor洞爺湖温泉~昭和新山~登別温泉~白老ポロトコタン~苫小牧東港フェリーターミナルor新千歳空港or札幌市内ホテル
(有料道路利用料金 駐車場料金 施設体験見学使用料金等含まれておりません)
積丹ブルーの海と水無の立岩、右横の穴が開いてる所が念仏トンネルです。
大正元年10月神威岬灯台に勤める職員の家族が買い物をして岩場を伝って家に戻る途中波にさらわれて行方不明になりました。
いつまでたっても帰らないので手分けして探した所岩場に漂っている遺体を発見したのです。
涙ながらに葬儀を終えた灯台の職員や家族たちは再び悲しい事故が起きないためにもにも断崖にトンネルを掘ろうと言う事になりました。
職員たちは仕事の合間を見つけては、波しぶきのたつ断崖に張り付いて、最も危険な神威岬に通じる断崖を両側から掘り出しました。
掘り出してどの位たったでしょう。
どこからか誰かの呼ぶ声が聞こえたのです。
それは亡くなった人の声のようでした。
所が両方から掘ってもう何か月にもなるのにどうしたことか貫通しないのです。
職員たちが不思議に思って調べた結果掘った穴が大きくずれている事が解りました。
仕方がなく途中から曲げて結ぼうと片方から右折する形で掘りぬきました。
わずかにずれていると思っていたのがかなり大きく食い違っておりました。
トンネルが出来、波打ち際の通行が便利になりましたが、人々はここを通るとき亡き人を忍んで、念仏を唱えながら歩きましたので念仏トンネルと呼ばれるようになったとか、又一説には暗闇で恐ろしくてたまらないので念仏を唱えながら通った事から念仏トンネルと呼ばれるようになったとも言われております。
現在は神威岬まで新しい道路と遊歩道が完成致しましたので念仏トンネルは通行止めになっています。
写真はカムイ岩、神威岩の伝説、神威岬にまつわる悲しい恋の伝説です。
兄頼朝の追手をのがれて、蝦夷地にわたった義経は、日高のアイヌコタンに滞在し、いつしかコタンの娘、チャレンカと恋仲になりました。
しかし、大きな望みをいだく義経のこと、別れも告げず、ひそかに旅立ってしまったのです。
これを知って驚いたチャレンカは、あとを追って、ようやく神威岬まで来ましたが、ときすでに遅く、義経一行は帆をあげて船出したあとでした。
チャレンカは遠ざかる船に、声の限り叫び続けましたが、むなしく波の音に打ち消されるばかり・・・。
ついに悲しみと恨みを残して、崖の上から身をおどらせてしまい、神威岩になったといい、それ以来、和人の船が、女性を乗せてこの岬を通ろうと、暴風雨がおこり、船の進むのを邪魔しますので、これはアイヌ娘の恨みと呪いによるものだろうと、語り伝えられています。
神威岩の伝説をご紹介しましたが、これは、和人の奥地定住をきらった松前藩が、女人禁制の政策を進めるために作った物語だろうと言われております。
[ソーラン節]この積丹は、そのむかしニシンで明け、ニシンで暮れたところです。
そして、ニシンとは切り離せないものの1つに、ソーラン節があります。
ソーラン節は、ニシンをとるときに使われた建網の作業唄ですが、その発祥地がどこなのかは、はっきりしておりません。
余市にソーラン節発祥記念碑、美国にはニシン場音頭記念碑があり、江差地方では江差で生まれたといっております。
この積丹地方のお話をご紹介しますと、美国場所の請負人、岩田屋金蔵の使用人に、南部地方(岩手県)出身の金次という人がいました。
その金次は大変な美声の持主で、ニシンの枠網から、大タモでニシンをくみ上げるとき、金次がすかさず入れる「合の手」と「即興の唄」は、激しい労働で、疲れきった漁夫たちの志気を奮い立たせたと言います。
そして、このヤーレンソーランのはやしとアドリブに富んだ作業唄が、やがて、漁夫とともに、全道のニシン場へ流れていったと伝えられています。
木立にかこまれた赤い屋根の建物は、札幌のシンボル時計台です。
時計台の鐘が鳴る 大空遠くほのぼのと・・・と歌われている時計台は、明治11年、北海道大学の前身、札幌農学校の演武場として建てられ、時計と鐘が取り付けられたのは、明治14年のことです。
明治39年にこの場所に移され、今も詩情ゆたかな鐘の音を響かせております。
昭和45年、国の重要文化財に指定され、現在は札幌歴史館として利用されています。
北海道庁旧本庁舎、赤いレンガの建物が長い間、「赤レンガ」の愛称で親しまれている、北海道庁旧本庁舎です。
明治21年、当時としてはモダンな建物として、人々を驚かせたそうですが、北海道の移り変わりを見つめて100年あまり、今では、国の重要文化財にしていされ、幕末から明治にかけての公文書や、北海道の歴史についての資料を保存する文書館として、一般に開放されております。
屋根の下に描かれている赤い星は、北極星を旗印とした開拓使のマークです。
まれに「札幌ビールのマークだ!」とおっしゃる方がおりますが、それもそのはず、そもそもサッポロビールは、政府の指導によってつくられた、官営ビールが始まりでしたから、同じ星のマークを使っているのです。
赤レンガのすぐ後ろが現在の庁舎、その左側は北海道議会議事堂です。
広い庭の木々が、四季折々に目を楽しませてくれますが、とりわけ、スイレンの花が、池の水面を彩る季節には、プロ・アマを問わず、イーゼルを立てて、絵をかく人の姿が多くなります。
また、夏の青空のもと、前庭で行われる赤レンガ音楽祭は、札幌の新しい風物詩となっております。
積丹ブルーの海にそびえ立つ女郎子岩の伝説、昔義経が奥州からのがれて、神威岬まで来ましたが、突然、海が荒れだし、船は海底深く沈んでしまいました。
義経たちは、やっとの思いで浜辺にたどり着き、アイヌの村長の家にお世話になりました。
そこには村長の娘シララがいて、いつしか義経とシララの二人は愛し合うようになりましたが、それも長くは続きませんでした。
兄頼朝の探索は厳しく、まだ望みを捨てきれない義経は、ある満月の夜、ひそかに沖合へと船を漕ぎ出して行ったのです。
これを知ったシララは、気も狂わんばかり、義経の名を叫びながら、岩伝いに後を追って行きました。
しかし、恋しい義経の船は遠ざかるばかり、とうとう最後の岩に立ったシララは、沖を見つめて動こうともしません。
ちょうどそのときです。
満ちてきた潮が、激しい白波となってシララを飲み込み、大空高く盛り上がって、そのまま一つの岩になりました。それ以来、この乙女の化身からは、すすり泣く悲しげな声が聞こえてくると言われ、誰言うとなく【女郎子岩】と呼ばれるようになったと言う事です。
赤井川村、四方を山々に囲まれた「カルデラ」状の地形をなしています。
気象条件は盆地特有の内陸型気候で、冬の積雪は多く、北海道内で有数の豪雪地帯です。
市街地でも最大170㎝にもなります。
上の写真は「大雪」を利用した「キロロリゾート」です。
夏は気温が上がりますが、昼夜の寒暖の差が大きく、果菜類の栽培に適しています。
赤井川村では農業が盛んで、中でもメロンやスイカは甘くて美味しいと評判です。
赤井川村の主産業は、農業と観光業です。農産品の品目は多岐にわたり、北海道で栽培できる農産物は何でも出来るといわれています。
作付面積が多い品目は、米、馬鈴薯、南瓜、スイートコーンなどです。
現在は、冬期間のウィンタースポーツだけでなく、ゴルフやテニスをはじめ、パークゴルフなど夏期の観光客もふえています。
また、平成3年にはスキー場を中心としたキロロリゾートがオープンし、観光・サービス業の就労者も増加しています。
赤井川村はアイヌ語「フレ・ぺツ」(赤い川)を意味したものです。
上の写真は美味しいソフトクリームで有名な山中牧場です。その下の写真は道の駅赤井川です。
左恵比寿岩、右大黒岩です。
ローソク岩高さ約40㍍、観音様の立ち姿に似ていますので、観音岩とも呼ばれています。
このローソク岩について、アイヌの人たちの伝説が残されております。
むかしむかし、大陸に住んでいた神様が、積丹半島をもぎ取って、自分たちの領土にしようとスキをうかがっていました。
あるとき、この神様は、物凄い大嵐と大津波巻き起こし、そのドサクサにまぎれて、積丹半島を引きちぎろうとしました。
これを知った北海道の神様たちは、半島を渡してなる物かと、嵐の中、太い縄で、積丹半島をしばり、その端を、ローソク岩の根元に、しっかりと結びつけました。
このため、大陸の神様も、積丹半島を盗む事が出来なかったと言われております。
ニセコ町、「スキーのメッカ」として、全国に知られておりますが、町の名がカタカナというのも珍しく、滋賀県マキノ町と、ここの2か所だけです。
また、同じようにカタカナを使ったJRの駅は、このニセコ、マキノの他に、北海道にあるトマム駅があります。
稲作や馬鈴薯、ビートなどの農業が中心で、酪農もさかんな所です。
ちなみに、ひらがなは北海道にえりも町があり、他に、むつ市(青森県)いわき市(福島県)えびの市(宮崎県)などです。
上の写真はニセコ、ラフティング尻別川で行いますがスリル満点で楽しいです。
その下の写真はJRニセコ駅前のハロウィーンの風景です。
山の写真は標高1308mのニセコ連峰の主峰ニセコアンヌプリです。となりが道の駅ニセコです。
白老町アイヌ民族博物館白老ポロトコタンとチセ(家)白老アイヌコタンは、アイヌの人達の生活や、文化を広く知っていただけるよう、家(チセ)祭壇(ヌサ)墓標などを再現しています。
コタンは「集落」とか「村」の意味です。入口には、旅人の安全を祈る高さ16mの大きな村長の像が建っています。
コタンの中にある「アイヌ民族博物館」には、代々伝わる宝物や、生活用具など1300点あまりが展示されています。
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