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美幌峠です。【美幌町】
美幌町観光貸切タクシー・チャータージャンボタクシー高橋の『美幌峠』です。
日本百名道、美幌峠です。
標高525mの、美幌峠です。
峠の展望台に立ちますと、屈斜路湖をはじめ、摩周岳・斜里岳・オホーツク海、そして遠くに丹頂の遊ぶ釧路湿原などの、雄大なパノラマが広がっています。
屈斜路湖が一望出来ます。雨☔も上がり、屈斜路湖も見えてお客さんも大満足です。😃✌🚕🚕🚕
屈斜路湖、アイヌ語で「クッチャロ」喉口という意味です。昔この湖が釧路川となって流れ出す「のど」にあたる部分に、クッチャロコタンがあり、その名をとって屈斜路湖となったものです。屈斜路湖、周囲57km、面積およそ80平方㎞、一番深い所は118㍍大部分が40㍍前後の深さを持つカルデラ湖です。🚕🚕🚕
屈斜路湖
アイヌ語で「クッチャロ」喉口という意味です。昔この湖が釧路川となって流れ出す「のど」にあたる部分に、クッチャロコタンがあり、その名をとって屈斜路湖となったものです。
屈斜路湖は周囲57㎞、面積およそ80平方㎞、一番深い所が118㍍、大部分が40㍍前後の深さを持つ、カルデラ湖です。(カルデラはスペイン語で鍋と言う意味ですが、土地が陥没して出来た大きな窪地の事で、そのカルデラの底の部分に水が溜まって出来た湖の事をカルデラ湖と言います。
この屈斜路湖のカルデラは、面積400平方㎞で、九州の阿蘇カルデラをしのぎ、スマトラのトバ湖カルデラに次いで、世界第2位と言われています。
(カルデラは、その中心や周囲など、地殻の弱い所に、新しい火山を噴出する特徴を持っていて、湖に浮かぶ中の島や和琴半島のオヤコツ地獄、硫黄山、摩周湖を抱く摩周岳などは、そうして出来たものです。)
湖の中に大きく横たわる中の島は、屈斜路カルデラに出来た二重式火山で、水面からの高さは355㍍、周囲12㎞、島全体が原始林に覆われています。
この湖には以前、トゲウオ・ニジマス・イトウ・ヤマベなど、沢山の魚が生息していましたが、昭和13年、屈斜路湖を震源とする地震があり、酸性の強い温泉が湧きだしたため、今ではわずかにウグイがいる程度と言う事です。
また、湖岸には和琴・仁伏・砂湯・赤湯・池の湯などの温泉があります。
君の名は
この美幌峠は「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずしては忘却を誓う心の悲しさよ」と、かつて、全国のファンを沸かせた菊田一夫原作の長編メロドラマ「君の名は」の舞台となったところです。
平成3年にはNHKの朝の連続ドラマにもなりました。ちなみに、テレビのロケーションは美幌峠・美幌牧場・弟子屈の川湯温泉駅などです。それではここでもう1度、名作の一場面をご紹介致しましょう。
昭和20年11月24日夜8時・・・・・それは氏家真知子が、ある名も知らぬ青年との約束をはたすために、数寄屋橋の畔へ行かなければならない時刻でした。
真知子は、ちょうど半年前の5月24日、あの東京大空襲のあった夜、猛火につつまれたその橋のの上で、見知らぬ青年に命を救われたのでした。
翌朝、まだ煙が漂っている別れの時、青年は真知子に聞きました。「君の名は・・・・」と、真知子は黙ったままでした。命を救い、助けられた相手に感謝しながらも、若い女性の恥じらいから名前を告げることは出来ませんでした。
青年、後宮春樹もまだ、ためらっている真知子を見て、名を聞こうとはせず、自分も名乗りませんでした。「お互いに知らない同士で別れた方がいいかも知れない。だが、もし、生きていたなら半年後の11月24日の夜、この橋の上でもう一度逢おう。」青年の言葉を胸に、真知子はわが家へといそぐのでした。
しかし、帰ってみるとあたり一面は焼け野原、わが家は跡形もなく、はぐれた両親も、その夜、帰らぬ人となっていました。
一人ぽっちになった真知子は、佐渡の叔父の家に引き取られ、あの夜助けてくれた、名も知らぬ青年に心惹かれながらも、叔父のすすめる浜口勝則と結婚の約束をするのでした。
半年後、そんな2人の数寄屋橋での再開は、明日が結婚式という前夜、その後のの真知子と春樹の姿を暗示するかのように、白い夜霧がたちこめていました。
それから幾月か後、春樹は真知子への思いを胸に、北海道で傷心の日々を送っていました。美幌峠に近い高原に、春樹の友人の牧場があり、春樹はそこで、牧場経営を手伝っていたのです。美幌峠に上ると眼下に屈斜路湖が広がり、そのまわりは、ただ原始林・・・・。峠一帯に広がるなだらかな草原には、北国の花が咲き乱れています。
でも、その草原のかれんな花も、また、黒百合のようなアイヌ娘ユミの愛も、真知子の面影をけしてはくれませんでした。
そんな春樹の前に、ある日突然、勝則との生活に疲れ果てた真知子が立っていました。遠い北国で、恋を忘却のかなたに追いやろうとした春樹の心に、真知子への思いがよみがえりました。しかし、いたずら好きの神様は、2人の想いを許してはくれませんでした。
嫉妬の炎に身をこがしながら、霧の摩周湖に身を投じようとしたアイヌ娘ユミ、そして真知子もまた、東京の勝則のもとに呼び戻されるのです。
まだ冷たい風が吹き抜ける美幌駅のホーム、列車の窓から身を乗り出して春樹の手をしっかりと握る真知子。「春樹さん、私帰りたくありません。」「僕だって帰したくない。」
しかし、無情な汽笛の響きを残して、列車は春樹の前から遠ざかっていくのでした。昭和25年初雪の便りが聞こえるころでした。
「別れ行きて いつまた逢える 美幌駅」こうして全国の女性ファンの涙をさそった映画「君の名は」によって、美幌峠の美しさは全国に紹介され、阿寒国立公園の名も多くの人々に知っていただいたのです。
なお、参考までにすとーりーの結末をご紹介しますと、その後、物語は雲仙へと展開するのですが、やっとえにしえの糸は2人を近づけ始めたようです。
夫の勝則も離婚を承諾、病床にあって危篤状態となっていた真知子のもとへ、フランスから春樹がかけつけて対面、2人は、長い旅路のすえに、やっと結ばれたのでした。
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