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美瑛町『ケンとメリーのポプラの木』です。【富良野美瑛・旭川観光タクシー】
北海道富良野~美瑛~旭川観光貸切タクシー高橋の美瑛町『ケンとメリーのポプラの木』観光案内です。
ポプラ
正しくは、クロポプラといい、原産国のヨーロッパからアメリカに渡り、明治の中ころ、日本に入って来ました。
背の高い木で、ところによっては、40mになるものもあるそうです。
このポプラは15m位でしょうか?
ポプラは、ギリシャ神話にいくつか登場して参ります。
では、ポプラの枝がなぜ天に向かって伸びているか・・・そのお話をご紹介致しましょう。
むかし、むかし、ポプラの枝が、横に伸びていたころのお話です。
森の木々が眠りについた夜更け、1人の老人が、ポプラの枝にソーッと、丸くて重い物を隠して行きました。
それは、女神のアイリスが大切にしていた金のツボでした。
翌朝、神殿では上を下への大騒ぎ、なくなった金のツボを、手をつくして捜しまわり、森の木たちにも聞いてみましたが、だれもツボのありかを知りません。
そこで、天空の神ゼウスが、すべての木に向かって、「枝を高くあげろ」と命じました。
何も知らないポプラも、みんなと一緒に枝をさしあげました。
するとどうでしょう、あれほど捜していた金のツボが、ころがり落ちてきたのです。
それからというもの、ポプラはいつも枝を天に向けて、疑われないようにしているということです。
ところで、クロポプラには、オスの木とメスの木があり、メスの木の大部分は枝を横にも広げています。
ですから、草ぼうきを立てたような姿のポプラは、オスの木と考えてもよさそうです。
ポプラは、さし木などで、簡単に増やすことができ、しかも成長が早い木ですので、いろいろな品種改良が行われております。
神話に出て来るほどの古い木ですが、次から次へと改良され、新しい品種が生まれて、放っておくと混乱をきたすありさまです。
そのため、国際ポプラ委員会という組織がつくられていて、ここで、新しい品種を認めなければ、ポプラの仲間には、入れないようになっています。
日本で見られる代表的な品種は、イタリアポプラ・セイヨウハコヤナギなどどと呼ばれる改良ポプラです。
1年に3mも伸びることもあり、15年位で、立派な樹木に成長します。
あまり役に立たないクロポプラとちがい、合板やパルプ材として、またマッチの軸などにも利用されています。
美瑛町
美瑛町は、十勝岳のふもと、上川盆地の南のはしにひらけた田園地帯で、美瑛町の特産物は、麦・ジャガイモ・豆・ビートなどの畑作が中心です。
なだらかな美瑛の丘に畑作の緑、美瑛ラベンダーの紫、ピンクのコスモスなどが、まるでジュータンを敷きつめたように、美しい丘の町美瑛の農村景観をつくっています。
美瑛町「展望花畑四季彩の丘」は、展望が素晴らしい丘の町美瑛に15haもの広さを有しています。
春から秋までのお花の季節には、数十種類の草花が咲き乱れる、花の楽園です。又写真ギャラリー「拓真館」など、美瑛の美しさを満喫したい人がおとずれています。
ここは、明治27年、兵庫県の小林直三郎という人が、同志とともに入植したのがきっかけとなり、その後、いくつもの農場が作られて開拓が進みました。
そして戦後には、旭川の第七師団演習場(6600ha)や、御料地(皇室の所有地、2900ha)など、広大な国有地でしたが、戦争で被害をうけた人達や、ひきあげてきた人達に解放されたものです。
美瑛の地名のおこりは、アイヌ語の「ピイェ」から来ています。
「ピイェ」とは、「油ぎった」という意味で、美瑛川が十勝岳から流れ出る硫黄分のために、白く濁っていたことから、こように呼ばれたものです。
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