ホーム »
『金滴酒造株式会社』です。【新十津川町】
新十津川町観光貸切個人チャータージャンボタクシー高橋の『金滴酒造株式会社』観光案内です。
新十津川町に有る、金滴酒造株式会社さんへ行って来ました。
金滴酒造は、明治39年に創業した北海道では老舗の酒造会社で、石狩川の支流徳富川の伏流水からつくられる『コタンの雪』は人気のある地酒です。
酒の命と称えられる仕込み水は、ピンネシリ山系に源を発する、清冽にして豊麗な雪清水が流れをつくる「徳富川」の伏流水を汲み、米は北海道産の酒造好適米を厳選して用いて造り豊醇でまろやかな味に仕立てています。
明治39年の創業以来110年以上の歴史がある「金滴」は、北海道の中でも、多くの人々から愛好されています。
太古より勤王の誉高い、奈良県吉野郡十津川郷を母村と仰ぐわが新十津川町は、空知の中心部樺戸郡の北端に位置し、東に北海道の母なる川「石狩川」、西には神の山と崇める「ピンネシリ」、両山河のふところに抱かれ、四季を通じて変化に富み、冬期間は特に旨酒造りにかかせない、しんしんと冷え込む厳しい寒冷地帯で、雪が多く清浄な空気に恵まれています。
また、「銘酒はよい水から」とまでいわれ、酒の命と称えられる仕込み水は、ピンネシリ山系に源を発する、清冽にして豊麗な雪清水が流れをつくる「徳富川」の伏流水を汲み、米は酒造好適米を厳選して用いて豊醇でまろやかな味です。
明治39年の創業以来、続いている「金滴」は、北海道の中でも、特に灘、伏見の酒にも勝る酒として人々から愛好されております。
私も、金滴甘酒丹切飴と金滴酒蔵蒸しケーキ、清酒金滴を購入して来ました。(^_^)v
新十津川町
この新十津川町は、奈良県の南端、紀伊山脈にかこまれた、十津川郷の人々が開拓したところです。
北海道の開拓は、全国から移住して来た大勢の人たちによって行われました。
そして、その中には数十人・数百人といった団体もありますが、ここ新十津川への移住は2500人にのぼっていて、これはほかに例を見ないものです。
なぜ、このように沢山の人が移り住んだのかというと、故郷十津川郷の水害がその原因でした。
明治22年8月、降り続いた集中豪雨は、家も畑も、そして168名の命をも奪って去ってしまったのです。
生活の糧を失い、明日への希望を失った村人たちは、政府の保護を求め、北海道への移住に最後の望みを託しました。
こうして、十津川郷の四分の一にあたる600戸、2489人の大移民団が、神戸港から小樽へ向けて出発したのが11月、水害からわずか3ヶ月後のことです。
小樽からは汽車に乗り換え、空知太、今の滝川市に建設中だった屯田兵舎でその冬を過ごし、翌年の明治23年6月、石狩川を渡ってこの地に入りました。
新十津川への集団移住の特色は、「南と北に分かれても関係を保つこと」「古い書類などは母村である十津川で保存し、共有物とすること」など、はっきり親子の村であることを確認しあっている点です。
もちろん、この誓いは今も守られていて、それぞれが競いながら歴史を刻んでいます。
この歴史をもとに、フキという女の子を主人公にしたドラマ「新十津川物語」がNHKで放映されています。
現在の新十津川町は、北海道でも指折りの米どころといわれるまでに発展し、小麦の作付けや、肉牛の生産も行われております。
Warning: Undefined variable $add_ids in /home/takahashi-taxi/www/wp-content/themes/takahashi-taxi/recommend.php on line 57