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小樽観光タクシー『小樽船見坂』です。
小樽観光タクシー『小樽船見坂』観光案内です。
おはようございます。👋😆✨☀早朝の船見坂です。
小樽港まで真っ直ぐに延びた道路から、絶景を見る事ができその眺望の素晴らしさから「船見坂」と名付けられたこの坂道ですが、何と勾配が15%を超える坂道です。
冬は当然ロードヒーティングが入っていますが、節電の為温度が下げてあり、大雪の時は要注意の坂道です。
小樽市民も腰をかがめながら、この坂道を登ります。😃✌🚕🚖🚕😱😵😨
船見坂
勾配15%を超える船見坂は、小樽でも屈指の急な坂です。
市民は腰をかがめながら坂を登ります。
明治37年(1904年)、函館本線の函館~小樽(高島)が開通しました。
また、この年、稲穂町で大火が発生しました。
この大火により2000戸以上の家屋が焼失し、火は坂のすぐ近くまで迫りました。
この火事がきっかけとなって駅前中央通りと龍宮通りとの中間に防火帯として、もう一本の道路を開削することになり、その結果誕生したのが船見坂でした。
この坂が出来たことにより、三角山斜面一帯の開発が進み、高級住宅地富岡が出現しました。
財をなした小樽の人達は、あこがれのこの高台に居を構え、青い海と増毛連山を眺めながら生活したといわれています。
坂の中ほどには函館本線をまたぐ船見橋があり、さらに坂を登りつめると右手に15%と勾配を示した表示板が立っています。
振り返ればその名とおり小樽港に停泊する船を眼下に見ることができます。
ここからの眺めは、小樽を舞台としたテレビや映画などに必ずといって良いほど取り上げられています。
坂の登り口には、国道5号線との交差点を中心として対角線上に三角市場と中央市場があります。
この2つの市場は小樽駅に近接しているという地の利を生かし、戦後の商品流通の拠点として活躍しました。
当時、ブリキの容器に鮮魚類をあふれるほど詰め込んだ「ガンガン部隊」も、この市場で商品を仕入れ各地へ出発しました。
当時の流通の担い手「ガンガン部隊」。
今はもう、遠い幻の世界のこととなってしまいました。
北海道の方言
北海道の方言についてお話いたしましょう。
「言葉はお国の手形」とかいいますが、言葉には、生まれ育った土地のナマリや特徴があり、その人の故郷がわかるようです。
北海道には明治の初め、東北はもちろん、日本各地から大勢の人たちが移り住み、それぞれ出身地の言葉で話していました。
しかし、言葉がちがうと気持ちの通じないことも多く、月日を重ねるごとに、次第にお国言葉は姿を消して、標準語に近い、北海道の共通ごが生まれたのです。
標準語に近いとは言っても、北海道の風土に育った言葉も残っておりますので、いくつかご紹介致します。
代表的なものに「シバレル」という言葉があります。
「今朝はシバレルねー」とか「水道がシバレル」などと、きびしい寒さのことを表現します。
気温がマイナス10度~20度にもなりますと、「寒い」とか「凍る」などといった言葉ではいいつくせないのです。
また、「気持ちが良い」とか「ゆったりする」という意味で「アズマシ」という言葉があります。
旅行などから戻ってきて「あぁ我家はアズマシイね」とか、乗り物に乗ったとき、気づかいをせずに、スムーズに座れた場合には「アズマシク座れるね」などといいます。
そのほか、夢中になって何かを行うことを「ハッチャキになる」、物を交換することを「バクル」、徒競走などの最下位を「ゲレッパ」、捨てるを「なげる」など、本州のお客様にはわからない言葉も結構あるようです。
言葉は同じですが、意味や使い方がちがうものもあります。
北海道では疲れたときに「あぁ、コワイ」といいますし、手袋をハメルのを「手袋をハク」といいます。
このほか、シシャモ(柳葉魚)、マキリ(小刀)、トッカリ(アザラシ)、チップ(ヒメマス)など、アイヌ語がそのまま使われたり、明治の初め、外国から入ってきた「プラオ」「サイロ」などの外来語が今なお残っております。