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『小樽運河クルーズ』カナルボートです。【北海道小樽Sightseeing TAXI髙橋】
『小樽運河クルーズ』カナルボートです。【小樽案内人1級取得・小樽Sightseeing TAXI高橋】
小樽市港町に有る、『カナルボート』小樽運河クルーズ観光船です。
小樽運河デイクルーズが大人1名¥1500、小樽運河ナイトクルーズが大人1名¥1800です。
😃✌は~い此れからお客さんが小樽運河クルーズ観光船に乗船しま~す。
※運航時間や運行間隔・ご利用料金など変更になっている可能性あり。 要確認お願い致します。
北海道の代表的な観光港町小樽
明治、大正、昭和の初めまで北海道の商業の中心都市として、栄華を誇っておりました小樽の街は今、当時のアンティークな建物を再利用した観光の街として、日々観光客で賑わっております。
今から30数年前、港小樽を代表する「運河埋め立て問題」が起こり、埋め立てか?保存か?両論が真向から対立し、
小樽市議会で大きく取り上げられ、しかし中々結論はでませんでした。
そこに結成されたのが小樽運河保存会で、会の人々は入り船出船で大いに沸き立った小樽の歴史を埋もれさせてはならない、小樽っ子の思い出の運河を何としても残そういう必死の守りを続けた事が、多くの賛同者や理解者を得ることができ、今日に至ったのです。
もし、あの時、そのまま車道にするため埋め立てていたら?今日の小樽の観光はあったでしょうか。
30数年の歳月は最良の結論を生み出しました。
運河の幅は40m、その半分を埋め立てて、残り半分を運河のままに残そうという事でした。
運河南側は昭和61年3月に散策路が設けられ、北側も当初の一部埋め立てを全面的に中止し、そのまま残すこととなり、平成2年1月南側に次いで散策路が設けられ、ガス灯が運河を照らしております。
小樽市は運河沿いの石倉庫群と合わせ、かつてウォール街といわれた旧日銀小樽支店等のある所を景観地区に指定し、民間企業の様々な事業努力が古いたたずまいの建物を利用して、現在のニーズにあった事業展開をすすめ、ここ数年の観光ブームとあいまって小樽への観光客は年間約700万人までになっております。
観光で今流行しているウォーターフロント「水際」、小樽は正にウォーターフロントそのもので、大都市札幌からわずか1時間の所に位置し、地の利の良さも手伝って「観光北海道」のブームもここまでかと思われている中、魅力あるアンティークな街並みは、訪れる者に安らぎと古き良き時代を偲ぶことの出来る懐かしさを与えてくらるところとして、多くの観光客が訪れております。
小樽の歴史について
小樽が観光地として脚光を浴びた大きな切っ掛けは、何と云っても運河問題が、全国版になって大きく報道されたことです。
町を二分する大論争が何年にもわたって続くと云うことは、「それほど大論争をする価値があるのか」という大きな関心を呼ぶ事になり、その結果、小樽の近代経済史に残る、数々の歴史的建造物等が見直されるようになったからです。
明治、大正はまさに日本歴史の中でも数少ない大変革期であり、その経済的政策は、多くが北海道に向けられました。
その中心にいたのが小樽で小樽港の防波堤を見ただけでもその力の入れようが解ります。
幸か不幸か戦後の小樽の衰退が日本の高度経済成長にとり残さた存在だったために、大半の遺産が手をつけられないまま残されました。
小樽はまさに北海道の開拓博物館と云ってもいいのではないでしょうか。
現在の小樽は古いこれらの遺産と、まったく新しい商業施設が混在し、町の経済的構造は一変しておりますが、先人が築いた数多くの遺産の中に小樽市民は生きております。
小樽運河
大正12年、9ヵ年をかけて完成したもので、小樽の全盛時代には、海と陸をつなぐパイプ役として、大きな使命を果たしていました。
しかし、今では、港の近代化と、荷役の機械化によって、その役目も終わり、周りの石造り倉庫とともに、当時の面影を伝えております。
新しく生まれ変わった運河
埋め立てか、保存かの論争のあと残された部分は、むかしのものにくらべると規模が小さくなり、長さは180mあまり、幅は半分の20mに短くなってしまいました。
埋め立てた部分は、御影石を敷きつめた散策路、小樽の過去と未来を刻んだレリーフやブロンズ像、そして、ガス燈のあかりが揺れる、しゃれた公園に生まれ変わり、ロマンチックなムードをただよわせています。
小樽運河~延長 旧 1324m 新 1140m
幅 旧 40m 新 20m (北運河の幅は、現在も40m)
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