北海道小樽での観光TAXIガイドです。【おたる案内人1級 観光貸切 個人TAXI高橋】

小樽送迎観光貸切個人タクシー・ジャンボタクシー高橋の小樽観光案内です。

大正12年、9ヵ年をかけて完成したもので、小樽の全盛時代には、海と陸をつなぐパイプ役として、大きな使命を果たしていました。

しかし、今では、港の近代化と、荷役の機械化によって、その役目も終わり、周りの石倉庫とともに、当時の面影を伝えております。

小樽運河、長さ1140㍍幅は埋め立てた所が20㍍、埋め立てていない北側の北運河が幅40㍍です。🚕🚖🚕

昭和41年に浮上した小樽運河の埋め立て問題は10数年の長い間、小樽の議会や市民、文化や歴史を主ずる人々の集団によって討議が続けられ、昭和55年半分埋め立てをして半分を保存するという都市計画が決定されました。

計画にそって工事は進められ、完成を見たのは昭和61年4月で、南側の運河・延長650mを幅20mに埋め立てられ、6車線の道道臨港線と散策路が建設されました。

やがて一般に公開されることによって、小樽運河周辺に観光客が急増し、夜は散策路に設置されたガス灯の淡い光を楽しみながら、散策する人が増えて来ました。

小樽市は北側の運河も道路拡張や散策路を設けるため、一部埋め立てる予定でしたが、全面的に取り止めととし、平成2年南側と同じ様に散策路やガス灯を設置し、南北延長1140mの散策路お目見えしました。

小樽市総合博物館運河館

明治26年に建てられた倉庫(小樽倉庫)を改造したもので、いかにも小樽らしい博物館です。中には、小樽のあゆみを郷土史・船舶史・ニシン漁業史・生活史などにわけて展示しております。

また、倉庫には珍しい屋根の「シャチホコ」が、訪れた人の目をひいております。

博物館と同じ倉庫を利用した、小樽市観光物産館「運河プラザ」は、小樽ブランドのクラフト製品・水産加工品・お菓子等が並んで、小樽PRの発信基地となっております。博物館右隣のドームが乗った建物は、ガラス工芸館です。

また、運が前の臨港線沿いには、お洒落なホテル、運河の宿小樽ふる川やホテルソニア小樽、ホテルノルド小樽などが建ち並んでおります。

小樽博物館

小樽文学館、美術館と並ぶ社会教育施設に小樽市博物館があります。

幕末から昭和にかけての小樽や北海道の郷土史、自然などを興味深く紹介くれます。

開設テープの声が静かに流れる館内には、収蔵・展示資料が海洋、郷土史、植物、昆虫など7部門、約3万点を数えます。

目立つものを挙げると、今では全国でも珍しい9.5mmフィルムと映写機、小樽最初の陶芸・本多佳次郎の土場焼きなど明治初期の北海道の陶器約300点があります。

さらに、収蔵量では全道一という北海道開拓期を描いた蝦夷絵(錦絵)約300枚、道央・道南の植物をほぼ網羅した標本約5000点、天然記念物のウスバキチョウを含む北海道の蝶の大半をそろえた標本約2500点など、極めて多彩です。

また、博物館講座と銘打ち、しめ縄づくりを指導するなど社会教育に力を注いでおります。

全面保存か埋め立てかで全国的な論争を呼んだ小樽運河は、小樽のアピールに大きくつながり、「ウォーターフロント小樽」としての活気を取り戻し、ここ2年~3年は500万人以上の観光客が小樽を訪ねております。

都はるみさんの歌う「小樽運河」の曲は懐かしい時代を偲ばせるノスタルジックな歌廻しと、今流行のセピア色が色めき立つムードが、そこ此処に感じさせてくれる素敵な歌です。

精進おとしの  酒をのみ

別の生き方  あったねとー

四十路半ばの  秋が逝き

セピア色した  雨が降る

イエスタディを  聴きながら

二人歩いた  あァ小樽運河

小樽の歴史について

小樽が観光地として脚光を浴びた大きな切っ掛けは、何と云っても運河問題が、全国版になって大きく報道されたことです。

町を二分する大論争が何年にもわたって続くと云うことは、「それほど大論争をする価値があるのか」という大きな関心を呼ぶ事になり、その結果、小樽の近代経済史に残る、数々の歴史的建造物等が見直されるようになったからです。

明治、大正はまさに日本歴史の中でも数少ない大変革期であり、その経済的政策は、多くが北海道に向けられました。

その中心にいたのが小樽で小樽港の防波堤を見ただけでもその力の入れようが解ります。

幸か不幸か戦後の小樽の衰退が日本の高度経済成長にとり残さた存在だったために、大半の遺産が手をつけられないまま残されました。

小樽はまさに北海道の開拓博物館と云ってもいいのではないでしょうか。

現在の小樽は古いこれらの遺産と、まったく新しい商業施設が混在し、町の経済的構造は一変しておりますが、先人が築いた数多くの遺産の中に小樽市民は生きております。

小樽ルネッサンス

かつて日本海に面した町はニシンで栄え、「鰊御殿」という当時の繁栄を偲ばせる建物が、今も海岸に見る事が出来ます。

しかし、追いニシンといって江戸時代から昭和の初期にかけて獲られたニシンも、時代を経て北へ北へと漁場が移動したのです。

小樽の漁場は江戸から明治にかけてニシン景気で湧いた時代で、勿論、大勢のヤン衆たちで浜は大賑わいでした。

その上、日本海の代表的な港である小樽港は明治32年には国際貿易港に指定され、内外の船の出入りが頻繁となり、物資の輸送も道内・道外からの物が小樽に集まってくる様になりました。

如何に小樽の港が繁栄していたか想像に難くないと思います。

物資と人の動きは必然的に金融関連の進出を促し、「行政の中心は札幌」「商業の中心は小樽」と定義付けるかのように北のウォール街と言われ、中央の銀行の出先は、ほぼ揃っておりました。

そんな中で、明治から昭和初期にかけて繁栄した小樽は様々な文化を残しました。

北海道内初の鉄道の敷設、港の整備と小樽運河、石倉庫群や民家・料亭も含めての歴史建物の数々、食文化、能、神楽など、両手に余る程の様々な方面の文化の発展を見たのです。

しかし、戦後の小樽はそれまでの歴史が止まったかの様に、明治・大正の建物はそのまま残され、今日を迎えたのです。

しかし、何が幸を生むかわからないもです。

小樽運河の埋め立てか、保存かの賛成・反対の両派の意見が対立するうち、小樽は小樽ルネッサンスに目覚めたようです。

過去の歴史の証を抹消することは、未来にきっと禍根を残すということに多くの人々は気付いたのでしょう。

古い物への郷愁は若いとか年寄りとかは関係なく、人々のルーツであり、歴史の生き証人に他なりません。

日夜、観光客でごった返す小樽の街の様子は、小樽っ子には冷たい見方をする方もいることと聞きますが、戦後の長い間、斜陽化の波が押し寄せていた頃を思えば、確実に笑顔で迎えてくれる人懐っこい小樽の人に、出会うことが出来る様になりました。

小樽の街並に入ると石造建築が建ち並び、まるでイギリスの何処かの街を連想する雰囲気を持っております。

石造建築ばかりではなく、レンガ建築・大理石建築・コンクリート建築など、当時の建築の粋を集めて、豪華で合理的に風土に合った建築方法で建てたものが、少なくても100棟以上、かつてのウォール街に残されております。

これらの建物はここ数年の間、随分様変わり致しました。

それと申しますのも歴史的建造物への「理解と利用」を両面から考慮したからです。

旧日本銀行小樽支店は金融資料館へ、旧拓殖銀行の建物はホテルからニトリ美術館へ、旧北海道銀行の建物は中央バス本社へ、旧第一銀行の建物はトップジェント紳装へ、旧三井銀行はさくら銀行、そしてニトリ美術館へと名を改めるなど諸々、上げれば切がありません。

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