北見市送迎観光貸切タクシー・チャータージャンボタクシー高橋の『ハッカ記念館』観光案内です。

ハッカ記念館

北見市南仲町1丁目にある、ハッカ記念館です。

ホクレン北見ハッカ工場の跡地を利用したもので、北見の発展に大きな役割りをはたした、ハッカに関する資料を展示・保存しています。

このハッカ工場は、昭和9年に操業をはじめ、ピーク時には、世界のハッカ生産の70%を占めていたほどです。

しかし戦後は、外国産に押されて、ハッカの耕作面積は急に減ってしまい、昭和58年、ついに50年の歴史に幕をおろしました。

ハッカの話

北見地方は、かつて「ハッカの北見」として、世界市場にも名を知られたところです。

雨の少ない気候が栽培に適し、かさばらないハッカ油にして運ぶので遠距離もデメリットにならない、という好条件重なって、北見地方の栽培は明治30年代から盛んになりました。

神戸や大阪の商人が買いにくるようになり、もうけの多い作物とわかると、ハッカ畑はどんどん増え始めました。

関東大震災で横浜の倉庫のハッカが焼けて相場が暴騰するという出来事もハッカ・ブームをさらに刺激し、たちまちハッカ成金が続出しました。

大正初期の北見の町にはそのハッカ成金が出入りする料亭が40もあったそうです。

大金を手にした農家が札束を畳の下に敷いて隠したとか、ストーブに隠したのを知らない家族が火をつけて燃やしてしまったという話も残っています。

昭和10年代には北海道全体で2万haのハッカ畑があり、世界生産量の7割を占めるほどでした。

しかし、戦争で需要が急に減ってしまい、戦後は皮肉なことに、ブラジルの日本人移民が作る安いハッカ油に押されて、ハッカ・ブームははかなく去ってしまいました。

現在では滝上町や遠軽町でわずかに栽培されていますが、最近のハーブへの人気とともにハッカへの期待も高まっているようです。

ハッカ

ハッカはシソ科の多年草で、刈り取った重さが4/1くらいになるまで乾燥して、これを蒸してハッカの成分をとります。

これが取卸油、すなわちハッカの原油です。

ここまでが農家の仕事で、この原油が工場に送られて、製品化され、医薬品・歯磨き・化粧品・ガムなどに利用されるわけです。

北見のハッカ成金

大正から昭和初期のお話です。

その頃の日本中は大変な好景気でした。

ヨーロッパで戦争があって日本から色々な品物が輸出され、北海道では豆成金や澱粉成金が続出しました。

北見にも商人がやって来てハッカ成金が続出しました。

ところが、生まれてこのかた、お金に縁の無かった人たちが大金を手にしたものですから、使い方さえわかりません。

野良仕事に行くのに新しい洋服を着たり、金時計をぶらさげ、毎日のように町に出掛けて、遊びほうけておりました。ところが、ある日のこと、村のゴンスケのところに泥棒が入り、有り金残らず盗まれてしまいました。

こんな事は村始まって以来の大事件ということで、町からお巡りさんが来ました。

「戸締りしないほうが悪いべ。しんばり棒はないのか!」

お巡りさんに聞かれたゴンスケは、キョトンとして

「しんばり棒って、何だべ。」

「しんばり棒も知らねえなんて、話にもならねぇ。」

お巡りさんはあきれて、それ以上調べないで帰ってしまいました。

それもそのはず、今までなら泥棒の方が気の毒がって、お金を置いていきたくなるような家ばかりでしたから誰も戸締りなんてしたことが無かったのです。

事件の噂は広まって同じ村の熊三の耳にも入りました。

熊三はその晩、お金を自分のお腹にくくりつけて

布団に入りましたが、心配で心配でどうしても寝つかれません。

あれこれ隠し場所を考えているうちに、布団から起き上がり、カマドの灰の中に埋めました。

そして、寝床に潜り込むとぐっすりと寝ました。

次の日の朝、熊三は子供達の騒ぐ声で目を覚ましました。

土間から朝ご飯の匂いがしてきました。

熊三は飛び起きて、「オイ、おっかぁ、銭、銭はだしたか?」「何の銭だね。どこから銭出せばいいんだ。」

「オラがバカだった。カマドさ札束隠すなんて。」

あとは、言葉にならないで声を上げて泣き出してしまい、熊三はそれっきり何日も寝込んでしまったそうでございます。

ハッカは香り高きシソ科の多年草で山地に自生しますが、香料植物として栽培され、茎・葉がハッカ油(精油)の原料となり、香料・薬となります。

セイヨウハッカ→ペパーミント(英語名)、オランダハッカ→スペアミント(英語名)

ハッカ油(精油)はハッカの葉を乾燥、水蒸気蒸留して作る精油で、主成分はメントールです。

無色透明または、帯黄色で揮発性と芳香と辛みがあり、清涼剤・香料となります。

大変手間がかかる植物で、常に除草しなくてはいけない、茎が折れたり葉が痛まないようにしなければならないので、機械が使えない、全てが手作業です。

昔は一夏植えれば家が一軒買えたそうです。

ハッカはシソ科の多年草で同属植物数種の総称

ハッカは人類と共に長い歴史をもつ植物で、約4千年前のピラミットの王の柩の中にもハッカが添えられていました。

日本にはエジプトからインド・中国・九州・本州に入り、北海道には、明治24年、永山村(旭川市)に、山形県より苗を取り寄せたのが始まりとされています。

北見市と北見地方のあらまし

ここ北見市は、網走市や紋別市とともに、この地方の政治・経済・文化の中心として発展していますが、開発のスタートは、以外に遅く明治30年、高知県から坂本龍馬の甥、坂本直寛の率いる開拓移民段「北光社」が入植、また同じころ、屯田兵1000戸が入って開拓を始めました。

その後、鉄道開通にともない急速にひらけ、原始林が資源となって木材産業、そしてハッカが北見の名を高めました。

この北見地方は、牧畜や畑作に適した気候風土で乳牛を飼い、タマネギ・ビート・ジャガイモ・薬草などの農産物が作られていて、とくに、タマネギは全国一の生産高を誇り、網走に近い女満別付近の小麦は、日本一質がよいということです。

また、花や緑の公園が多いのも特徴で、北見市内にも世界各地の花を集めたフラワーパラダイスをはじめ、野付牛公園・ボタン園・ツツジ公園などがあります。

最近では、日照時間の長いことから、太陽熱を利用したソーラーカーの開発などで注目されています。

住宅でもソーラーシステムを取り入れる家庭が多いのも北見市の特徴です。

北見市はむかし、野付牛と呼ばれていました。

これはアイヌ語の「ヌプウンケシ」から来たもので、『野の端』という意味です。

北見となったのは昭和17年からで、北見の国という国名からとったものです。

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