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月形温泉『ゆりかご』(湯里花郷)です。【月形町】
北海道観光貸切個人ジャンボタクシー高橋の月形温泉『ゆりかご』(湯里花郷)観光案内です。
月形温泉ゆりかご(湯里花郷)
男女で造りの違う大浴場が偶数日、奇数日で毎日入れ替わります。
浴場には露天風呂はもちろん、寝湯、バイブラバス、テレビ付きサウナ、介護用シャワーチェア、さらに温泉施設では珍しい毛染め専用コーナーを備えて付けてあります。
泉質:ナトリウム・カルシウム塩化物泉(低張性弱アルカリ性温泉)
効能:神経痛、五十肩、関節痛、運動麻痺、うちみ、くじき、やけど、慢性消化器病、冷え性、婦人病、切り傷など
月形町
ここ月形町は、お米を中心に野菜・果物などの栽培をはじめ、最近では、カスミソウ、カーネーションなど、花の栽培も盛んになっている農業の町です。
囚人によって開拓されたこの町では、昭和48年に少年院を、続いて昭和58年には刑務所を新たに誘致して、刑務所とともに生きて来た、ユニークな歴史を物語っているようです。
月形町は明治のむかし、北海道で初めての刑務所、樺戸集治監の置かれたところで、町名も初代の典獄・今でいう刑務所長月形潔の名をとって名付けられたものです。
北海道には、明治14年の樺戸集治監につづき、翌年明治15年に空知集治監(明治34年廃監)明治18年には釧路集治監(明治34年廃監)など、次々に監獄がつくられました。
西南の役(明治10年)や、その後の自由民権運動によって出た多数の政治犯が、その他の凶悪犯と共に、はるばるこれらの監獄に送られてきました。
北海道でも、そのころすでに函館や札幌に牢屋はありましたが、本格的な獄舎は月形が最初で、いつも1200人~1500人、最高の明治35年には2490人が収容されました。
その中には、五寸釘を突き刺したまま逃亡した西川寅吉や、足が早く1日200㎞近くも走ったという稲妻強盗の坂本慶次郎、明治の偽札づくり、熊坂長庵、浪花節にも語られ海賊の異名をとった大沢房次郎などもいて、いろいろなエピソードとともに、集治監の歴史は書き加えられていったのです。
樺戸集治監の囚人は、おもに道路開削にかりだされました。
人の踏み入らない未開の原始林を切り開き、道路は旭川・北見・網走へと延び、屯田兵や開拓者は、この道を通って奥地へと入植しました。
しかし、難工事のうえに、突貫工事など重労働が重なり、病人や死亡者の絶えることがありませんでした。
廃監になるまでの39年間に、死者は、脱走して惨殺されたもの、途中、石狩川でおぼれたものをふくめ1000名をこえました。
今、月形の町はずれにある、樺戸集治監獄死亡者の墓標や供養塔が、当時の無残な日々を伝えております。大正8年、この集治監の、暗く長かった歴史にピリオドが打たれ、その幕は降ろされましたが、北海道の今日の繁栄の陰には、こした人達の尊い犠牲が刻まれています。
脱れいで 石狩川に こごえたる
囚人の話は 遠世の如し
悲しまん 人々さえに 亡くなりて
久しき時に 吾は来にけり
昭和5年、この地を訪れた歌人、土屋文明はこのように詠っております。
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