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道の駅だて歴史の杜です。【伊達市】
伊達市観光貸切送迎タクシー・チャータージャンボタクシー高橋の道の駅だて歴史の杜です。
2012年4月1日に道の駅だて歴史の杜・伊達市観光物産館がオープンしました。
伊達市は、北海道内唯一の藍の生産地として知られています。
また、道内では数少ない刀匠が住み、日本伝統の技を守り受け継いでおります。
これらの特性を生かした藍染体験ができる藍工房、刀鍛冶工房を配置した黎明観、直木賞作家 宮尾登美子さんの文学記念碑が隣接しています。
石垣がそびえ立つだて歴史の杜総合公園に位置し、伊達の個性ある歴史文化をアピールする情報発信基地です。
雪も少なく、気温も温暖なことから、北海道の湘南といわれています。
土も良く肥えていて、農産物にも恵まれ、近郊の室蘭・苫小牧方面に出荷されています。
伊達開拓
この町は、明治3年、仙台藩の一門で、亘理の領主だった伊達邦成の一族と、その家臣たちによって開拓されたことから、伊達と名付けられております。
江戸時代の終わりごろ、日本は開国をせまる派と、これまでの幕府を守る派との間で血を流し合いました。
その結果、天皇を中心とする統一国家として、明治を迎えたとき、戦いに敗れた東北各藩のお侍は、石高を減らされ、生活が成り立たなくなってしまったのです。
伊達邦成率いる亘理藩も、それまでの2万4千石(2万4350石)から58石(58石5斗)に減らされてしまいました。
それならば、いっそ故郷を捨て、遠く離れた北海道で、北の守りと開拓をしよう、と考えました。
そして、家老の田村顕允の努力が実って、新政府から許しが出て、明治3年から14年まで、9回にわたって2681人の人たちが、不安と期待を胸にこの地へ移り住んだのです。
しかし、待ち受けていたのは、昼なお暗い原生林と荒涼たる原野ばかり・・・。
その苦労は、並たいていのことではありませんでした。
邦成は、開拓資金に家財のほとんどを売り払い、自分はもちろん、母も妻も家臣といっしょに、汗まみれで畑仕事に励んだのです。
やがて苦労はむくわれ、ほかに例を見ないほどの1大農村を築きあげましたが、殿様みずから先頭に立って、最後まで開拓して、成功したのはめずらしく、この伊達市と、兄の邦直が開拓した石狩の当別町だけです。
市内には、町の歴史を伝える伊達開拓記念館がつくられ、毎年8月には、鎧・兜に身をととのえ、当時のようすをしのぶ「武者まつり」が行われています。
伊達開拓記念館
邦成公のお屋敷だったところで、館内には、鎧・兜・刀などのほか、北海道に残っている中で、一番古い「ひな人形」などが展示されていて、貴重な資料になっています。
伊達大手門
左手には、大きなお城の門が有りますが、「だて歴史の杜」公園の正面玄関として建てられたもので、昭和20年に(空襲で)焼け落ちた仙台青葉城がモデルになっています。
高さ9.9m、幅15m、実物のおよそ4分の3の大きさだそうですが、扉を設けないなど、細かい部分以外は、ほぼ忠実に再現しております。
また、総檜造りだった「本家」に対して、伊達の大手門は鉄筋コンクリート(屋根は木造・かわらぶき)と近代的な造りです。
なお、ここを開拓した亘理藩のお城に、大手門はなかったそうです。
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