ホーム »
『道の駅鐘の鳴る町秩父別』です。
北海道観光個人タクシー高橋の秩父別町『道の駅鐘のなるまち・ちっぷべつ』観光案内です。
秩父別町に有る、道の駅鐘のなるまち・ちっぷべつは、旭川市と留萌市ね中間点に位置し、国内最大級のスイングベルの音が鳴り響き、バラの香りがただよう町に有る、道の駅です。😃✌🚖🚖🚖👍
秩父別町
明治34年に深川村より分村し、「秩父別」と命名されました。
地名はアイヌ語「チクシュぺツ」からで(通路のある川・船の通る川)など意味も様々です。
深川市と同じ北空知地区に位置し、標高40m~50mの平地が広がる農村で、明治の開拓期から先人の努力によって築かれた農業がこの町をささえております。
平成4年、秩父別の米は「日本の米百選」に選ばれ、一等米100%を達成するなど、北海道でも有数の品質を誇る米の生産地です。
この町は明治22年に雨竜原野5万haが華族組合農場として貸し付けられた時の地域に属していました。しかし、農場は解体し、この地域は華族組合の一員であった徳島の蜂須賀のお殿様が治める農場地域に入る事となりました。
その後、秩父別地域は未開拓地であったことから一旦国に返却され、屯田兵村として開墾する事となったのです。
屯田兵が明治28年200戸、翌明治29年200戸が入植して開墾がはじまりました。
入植当時は、稲作は禁止されていて、入植者は畑作で生計をたてていました。
しかし、近隣ですでに米の試作に成功していることから、米を作りたいという思いは捨てがたく、明治29年、入植者の植田栄太郎を始めとする数人が米の試作を手掛けて成功し、明治31年頃には急速に稲作が普及していきました。
造田と共に大規模な灌漑工事が行われ、大正の初期に整備が進められ、以後、町は美田が広がる農村に発展しました。明治38年に174haであった作付面積は現在2900haとなっております。
平成11年に完成したお米の貯蔵施設は冬の厳しい寒さを取り入れ、自然冷気貯蔵する丸ビンと呼ばれるタンクにモミを貯蔵し、食味の良い米に乾燥調整したものを「ちっぷべつの米・いなほの鐘」の名前で販売しております。
その他、ブロッコリー・カボチャ・トマト・メロン・イチゴ、そして花き生産に力を注いでおります。
また、トマトジュース「あかずきんちゃん」は、トマトジュースが苦手な人でも、飲めてしまうという優れもので、添加物は0.3%の塩だけで、天然のトマト味で、道内外のデパート・スーパーに並んでおります。
此方が秩父別町開基100年記念塔です。百年記念塔最上部には、国内最大級のスイングベルが設置され、1日4回鳴り響いています。🔔🔔🔔🔔
開基100年記念塔
町の開基100年を記念して建てられた高さ100フィート(30.48m)の記念塔です。
平成5年12月、総事業費約22000万円で完成しました。
塔内には国内最大級のオランダ製スウィングベルが設置され、全町に時を告げております。
かつて屯田兵が入植した頃、訓練に励む屯田兵や開墾にいそしむ人々に時を知らせたり、非常招集に使うなど、朝昼晩と事あるごとに鐘を鳴らし、やすらぎや、遠く故郷を離れて大地を切り開く人々の志気を昂揚させる大きな役割を果たしていたのが「開拓の鐘」(屯田の鐘ともいう)でした。実際に使用していた鐘が現在も郷土館に保存されています。
開拓者の心を和ませた鐘を現在に蘇らせるべく、新たな形で記念塔に鐘を取り付け、時報の代わりで鐘を鳴らしているのです。
百年記念塔の上からの景色です。登るラセン階段(121段)で目が回りそうになりました。(笑)😵