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『開陽台』です。【中標津町】
中標津町観光貸切タクシー・チャータージャンボタクシー高橋の『開陽台』です。
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中標津町開陽台
中標津町の自慢の一つに中標津町開陽台があります。
中標津町開陽台は、標高が270mほどの丘ですが、ここ開陽台からの展望はまさに一望千里、開陽台の眼下に緑の牧場がどこまでも続き、その先には野付半島や国後島がかすんでいます。
また、海の水平線を見て地球の丸さを感じると申しますが、360度の展望を楽しめるこの開陽台は、陸の地平線で、その醍醐味を満喫出来る所です。
開陽台の展望台の下には「こころの碑」があります。
この碑は無名の青年、中野英輔さんの霊を慰めるとともに、人々の心を大切にすることを願ったもので、多くの方々の協力によって建てられたものです。
碑文には、「さて小生は、よいよ北海道に渡ることを固く決意しました。
現代の人間には、真に自然が必要であります。
その中で、同じ世代で生きる人達の、連帯感を深める事が出来ればと思っています」と刻まれています。
中野英輔さんは、福岡県の出身で、千葉県市原市で働いていた文学青年ですが、たまたま友人の集まりである「ざこくらぶ」の人々によって、この開陽台に、文化人村が建てられることを知り、自分も都会の騒音の中で暮らすことより、大自然にふれて働いてみたいという希望を持ちました。
そして直木賞を受賞した作家の渡辺喜恵子さんを訪ね、文化人村に住むことをお願いし、昭和44年の春、北海道に渡って生活することを決意しました。
しかし、その願いは夢のままで終わってしまいました。
出発の一週間前、工場でクレーンに巻き込まれ、熱い思いを胸に抱きながら、26歳の若さでこの世を去ってしまったのです。
これを知った「ざこくらぶ」のメンバーや町の有志の方々が、とげられなかった中野青年の意志を大切に残そうと、この地に「こころの碑」をたてたのです。
中標津町、酪農が中心で、4万頭の牛が飼われています。
酪農家一戸当たりの頭数は約90頭、人間の数より牛の数が多い所です。
(平成15年12月末現在人口、23846人)
また、街の郊外には雪印中標津工場があり、バター・チーズの生産が行われております。