積丹半島観光TAXI 地域最安6時間定額制運賃プラン 積丹ブルーと雲丹丼コース

コース

小樽駅or小樽市内ホテル~旧日本銀行(車窓)~小樽運河(車窓)~マッサンの余市ニッカウィスキー工場~積丹岬~ウニ丼昼食~神威岬~小樽駅or小樽市内ホテルor北一硝子orオルゴール堂

料金

普通車タクシー4名様まで乗車可能 31800
ジャンボタクシー9名様まで乗車可能 45200

積丹半島6時間ルート観光プランは 通年定額制運賃で 地域最安モデルコースです!

(有料道路利用料金 駐車場料金 昼食料金 施設体験見学使用料金等含まれておりません)


写真は、積丹半島神威岬の先端にある積丹神威岩です。
積丹神威岩の伝説、積丹神威岬にまつわる悲しい恋の伝説です。

兄頼朝の追手をのがれて、蝦夷地にわたった義経は、日高のアイヌコタンに滞在し、いつしかコタンの娘、チャレンカと恋仲になりました。
しかし、大きな望みをいだく義経のこと、別れも告げず、ひそかに旅立ってしまったのです。
これを知って驚いたチャレンカは、あとを追って、ようやく積丹神威岬まで来ましたが、ときすでに遅く、義経一行は帆をあげて船出したあとでした。

チャレンカは遠ざかる船に、声の限り叫び続けましたが、むなしく波の音に打ち消されるばかり・・・。
ついに悲しみと恨みを残して、崖の上から身をおどらせてしまい、積丹神威岩になったといい、それ以来、和人の船が、女性を乗せてこの岬を通ろうと、暴風雨がおこり、船の進むのを邪魔しますので、これはアイヌ娘の恨みと呪いによるものだろうと、語り伝えられています。

積丹神威岩の伝説をご紹介しましたが、これは、和人の奥地定住をきらった松前藩が、女人禁制の政策を進めるために作った物語だろうと言われております。

積丹半島神威岬

数ある積丹半島の岬の中でも、鋭く突き出た地形が特徴的な『北海道遺産』に選ばれた神威岬です。

先端までへの小路を歩けば、潮風にあおられたり、きつめの傾斜を上り下りしたりと、ちょっとした冒険気分が味わえます。

ゴールでは、視界いっぱいに広がる海と空が待っております。

『ソーラン節』

この積丹は、そのむかしニシンで明け、ニシンで暮れたところです。
そして、ニシンとは切り離せないものの1つに、ソーラン節があります。
ソーラン節は、ニシンをとるときに使われた建網の作業唄ですが、その発祥地がどこなのかは、はっきりしておりません。

余市にソーラン節発祥記念碑、美国にはニシン場音頭記念碑があり、江差地方では江差で生まれたといっております。
この積丹地方のお話をご紹介しますと、積丹美国場所の請負人、岩田屋金蔵の使用人に、南部地方(岩手県)出身の金次という人がいました。

その金次は大変な美声の持主で、ニシンの枠網から、大タモでニシンをくみ上げるとき、金次がすかさず入れる「合の手」と「即興の唄」は、激しい労働で、疲れきった漁夫たちの志気を奮い立たせたと言います。
そして、このヤーレンソーランのはやしとアドリブに富んだ作業唄が、やがて、漁夫とともに、全道のニシン場へ流れていったと伝えられています。

今では鰊に変わって、積丹半島沿岸ではウニ漁がさかんに行われております。

積丹半島のウニ漁は、例年6月~8月31日迄です。
何と云っても積丹半島のうに丼は美味しいです。

積丹町日司にある、まるてん佐藤食堂しゃこたんなべさんで、うに丼を食べて来ました。

ウニ

数多いウニの中で食用になるのはバフンウニ、ムラサキウニ、アカウニなど。

食べて美味しいのは、冷たい水域に生息するエゾバフンウニ(地元ではガンゼと呼ぶ)で、名前に似合わず色も形も美しいウニです。

コンブを食用にしており、春から夏にかけて水揚げされます。

キタムラサキウニ(地元ではノナと呼ぶ)は暖流系で日本海沿岸に広く生息します。

とげが長く黒紫色をしており、食用となる卵巣部分はエゾバフンウニより大きく、色も黄色みがかかっています。

卵巣が成熟する春から夏にかけてが旬で、焼きウニ、ウニ和え、ウニ味噌、卵とじ、寿司ネタなど料理法も数多くありますが、生ウニを熱々のご飯の上にタップリと乗せノリを散らしてワサビ醤油で食べる「ウニ丼」が最高です。

トロリとした甘味と舌触りは磯の香りとともに、なんともいえない風味があります。

積丹半島漁師直営店のまるてん佐藤食堂さんでは、積丹ウニ漁期最後に取った8月31日のウニを水槽にストックしてあり、9月8日~9日頃まで、うに丼が食べられま~す。(要確認)

積丹半島のウニも残りわずかです。
積丹のうに丼を食べてみたいお客様は、お早めにお出掛け下さい。

積丹ブルーの綺麗なこの海で採れたウニは絶品、美味しい😋よ!!

それぞれに趣の違う個性的な眺望を楽しめる展望台が点在する積丹岬エリアは、『しゃこたんブルー』を満喫できるのが魅力です。

特に『日本の渚百選』のひとつである島武意海岸は、断崖絶壁が続くなか唯一波打ち際まで下りられるスポットです。

暗いトンネルを抜け、いきなり眼下に現われる鮮やかな『しゃこたんブルー』の海は衝撃的です。

佐藤食堂のすぐ裏からの風景です。遠くに神威岩と神威岬が見えます。

大字日司町

ここはかつては入舸村字日司でしたが、現在は町村合併で積丹町大字日司町です。

ここは昔、アイヌの人は「クッタラシ」(イタドリが群生する処)と呼んでいた所で、慶長年間、積丹場所として運上屋が置かれた事から「サクコタン」すなわち「積丹」と命名したのです。(積丹の地名の発祥の地)

安永5年(1776年)、場所請負人 岩田屋金蔵がこの日司に2ケ所の漁場を経営し、安永7年(1778年)には、ここから美国場所までの新道を開削したというのですから日司は古い歴史をもった漁村なのです。

日司漁港は第一種漁港に指定されており、昭和45年、新たに整備され沖合出漁の動力船が避難する事の出来る規模の港です。

日司「は御覧の通り、旅館、民宿、郷土料理の店など積丹半島では早くから施設づくりに力を注いで来たところです。
観光シーズンともなりますと大型観光バスや乗用車などで大勢の観光客がつめかけ、「積丹銀座」の再来を見る様です。

余市町ニッカウヰスキー北海道工場

竹鶴政孝

竹鶴政孝は明治27年6月、広島県竹原市にあった造り酒屋の三男として生を受けました。小さい頃はワンパクで8歳の時、自宅の階段から転げ落ちて鼻を強打し、七針も縫う大けがをしたのです。ところが、これが何と国産スコッチウイスキーを世に送り出す前兆だったのですから、解らないものです。その上、生まれた時から人一倍、鼻の大きな赤ん坊で回りが驚いたくらいなのですから。

「このけがで鼻が通るようになって、人並み外れた大きな鼻、臭覚が生まれ、ウイスキー造りに役立った」と政孝氏は生前語っておられたそうです。

大正5年、大阪高工醸造科を卒業し、大阪摂津酒造に勤務しました。当時、イギリスのウイスキーが日本市場に入り込み、ウイスキーに関しては我が国のものは焼酎に色を付けた程度のイミテーションだったのです。気骨のある摂津酒造の社長、阿部喜兵衛の勧めによって大正7年3月、大勢の見送りを受けて横浜から船に乗ってアメリカ経由でイギリスへ旅立ちました。

「わざわざ日本からウイスキーの研究にやって来るとは奇特な若者」と、目を掛けてくれるイギリスの技術者にも恵まれ、ウイスキーの技術を習得して日本に帰国したのが大正10年9月、竹鶴は永遠を誓って結婚したゼシー・リタを伴っておりました。

3年間の留学で習得したウイスキーに関する知識は、中々日本の酒造会社では受け入れて貰えず、摂津酒造から寿屋へ(現サントリー)そして昭和8年寿屋を退社し、かねがね目を付けていた余市でのウイスキー造りの準備に取り掛かりました。

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上の写真は余市町に有る、余市町ニッカウヰスキー北海道工場です。
ウイスキーのモルト、すなわち原酒を作っているところです。

お酒は、お水と気候の良いところに美味しいものが生まれるといいますが、余市町は三方が山、一方は海に囲まれ、余市川の清流と、澄んだオゾン、温度・湿度など、スコッチの本場、スコットランドそっくりなのだそうです。
ニッカウヰスキーの生みの親は竹鶴政孝さんですが、竹鶴さんは、スコットランドで醸造学を勉強、帰国後、入社した寿屋(現在のサントリーウイスキー)で、昭和4年、国産第一号のサントリーウイスキーを誕生させました。

その後独立して、かねてから白羽の矢を立てていた余市に工場を建て(昭和9年)、リンゴジュースなどを作りながら、ウイスキーの熟成を待ち、ニッカウイスキーを世に送り出したのは、昭和15年のことです。

なお、ニッカの名前は、以前の会社名、大日本果汁の略、大日本の「日」と、果汁の「果」からとって[ニッカ]と名付けたということです。

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積丹半島に有る、左恵比寿岩、右大黒岩です。

ローソク岩高さ約40㍍、観音様の立ち姿に似ていますので、観音岩とも呼ばれています。
このローソク岩について、アイヌの人たちの伝説が残されております。
むかしむかし、大陸に住んでいた神様が、積丹半島をもぎ取って、自分たちの領土にしようとスキをうかがっていました。

あるとき、この神様は、物凄い大嵐と大津波巻き起こし、そのドサクサにまぎれて、積丹半島を引きちぎろうとしました。
これを知った北海道の神様たちは、半島を渡してなる物かと、嵐の中、太い縄で、積丹半島をしばり、その端を、ローソク岩の根元に、しっかりと結びつけました。

このため、大陸の神様も、積丹半島を盗む事が出来なかったと言われております。

神威岬

CIMG0725積丹神威岬水無しの立岩1a積丹カムイ岬3女人禁制の門

積丹神威岬に有る、写真が水無の立岩、その少し右に現在落石で危険なため、通行止めになっている積丹念仏トンネルが有ります。

以前は真っ暗な積丹念仏トンネルを通って積丹半島神威岬の突端へと向かっておりました。
このトンンネルが掘られたのは1つの海難事故がきっかけとなっております。
大正元年10月積丹半島神威岬灯台に勤める職員の家族が買い物をして岩場を伝って家に戻る途中、波にさらわれて行方不明になりました。
いつまでたっても帰らないので、手分けして探したところ、岩場に漂っている遺体を発見したのです。
涙ながら葬儀を終えた灯台の職員や家族たちは、再び悲しい事故が起きないためにも、断崖にトンネルを掘ろうと言う事になりました。

職員たちは仕事の合間をみつけては、波しぶきのたつ断崖に張り付いて、最も危険な神威岬に通じる断崖を両側から掘り出しました。
掘り出してどの位たったでしょう。
どこからか誰かの叫ぶ声がきこえたのです。
それは亡くなった人の声のようでした。
ところが両方から掘ってもう何か月にもなるのに、どうしたことか貫通しないのです。

職員たちが調べた結果、掘った穴が大きくずれている事がわかりました。
「仕方がない、途中から曲げて結ぼう」と片方から右折する形で掘りぬきました。
わずかにずれていると思っていたのが、かなり大きく食い違っておりました。
トンネルが出来波打ち際の通行が便利になりましたが、人々はここを通るとき、亡き人をしのんで念仏を唱えながら歩きましたので、念仏トンネルになったとか、また、一説には暗闇で恐ろしくてたまらないので、念仏を唱えながら通った事から念仏トンネルと呼ばれるようになったとも呼ばれております。
となりの写真は積丹半島神威岬と積丹半島神威岬灯台です。

積丹ブルーの海も大変綺麗です。
積丹女人禁制門みえております。
積丹神威岬の婦女通行の禁、積丹半島神威岬付近は、天気の良い日でも波の高い事が多く、昔は、少し荒れだすと、小さな船ではなかなか通ることが出来なかった難所で、蝦夷三険岬(茂津多・神威・雄冬)の1つに数えられていたところです。
ところで、松前藩時代には、この積丹半島神威岬から北へは、女性が行くことを認めておりませんでした。

それは松前藩ではこの岬から北は、和人の定住を禁じていて、そこに女性が入ると言う事は、定住を意味したからでした。
和人が、交通の不便な奥地に、どんどん入るようになっては、藩の力で、とても取り締まる事が出来なくなるからです。

したがって、奥地に入るのは、ニシン漁に行く男だけに限られていて、恋し人との別れを惜しむ、妻や恋人の思いが、「恨みますぞえ、お神威さまは、なぜに女の足止める」「忍路高島およびもないが、せめて歌棄磯谷まで」と、追分節にもうたわれています。
この女人禁制の掟が解かれたのは、安政3年(1856)、蝦夷地を幕府が直接おさめるようになった翌年の事です。
宗谷へ赴任するお役人、梨本弥五郎が、初めて妻子をつれて、この岬を通過しております。

小樽市内観光

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小樽市富岡に有る、小樽富岡カトリック教会、昭和4年に、ドイツ人宣教師の設計・指導で建てられた、小樽カトリック富岡教会です。

ツタにおおわれた天主堂、ステンドグラスをはめ込んだ飾り窓、アーチ型に石を組んだ玄関など、ロマンチックな香りただよう教会です。
なお、このあたりは、亡き石原裕次郎さんが(3歳~8歳までの)少年時代をすごしたところです。
となりの写真は小樽公園から小樽港を望んだ写真です。

小樽公園は、小高い丘の上につくられた、緑の多い公園で、北海道でただ一つの能楽堂をはじめ、市民会館や体育館、図書館・公会堂・野球場などが点在します。
また、15種類7000本のツツジが植えられていて、花の季節は、目も覚めるばかりの美しさです。
このツツジは、小樽市の「市の花」に選ばれていますが、庭木が「市の花」になっている珍しい例です。

北海道の四季

冬の長い北海道は本州にくらべると季節の移り変わりが早く、四季それぞれに趣きを変えて、訪れる人々の旅情をさそっております。

(春)

3月から4月にかけて、雪解け水を集めた川は水かさを増し、野では長い間眠っていた黒い土が顔を出し、フキノトウやフクジュソウが春の訪れを告げます。

街ではまだ雪が残っているうちに、人々は軽やかなよそおいに変え、ほおをなでる春風の完食を楽しみます。

(夏)

美しきもの 皆もろし 鈴蘭の

とく しおかおるが 美しきかな (有島武郎)

5月には桜、スズラン、ライラックなど、北国の花の季節です。

そして夏は青く澄んだ空気に満ちあふれ、緑一色の野山、紺碧の海、原生花園の美しさ、このみずみずしい季節を心から楽しもうと、いたるところでお祭りがくりひろげられます。

港まつり、湖水まつり、火まつり、温泉まつりなど、北海道ならではのロマンの祭典が旅人に忘れがたい思い出を刻むのです。

(秋)

しんとして 幅広き街の 秋の夜の

とうもろこしの 焼くるにほひよ (石川啄木)

8月を過ぎますと、秋が足早にやってまいります。

北国の秋の風物詩は、街角に漂うトウキビのにおい、目に染みるような青い空にすっくと立つポプラの葉ずれの音、そして山の頂から急ぎ足で降りてくる紅葉の燃えるような赤から始まります。

この頃の北海道は山の幸、海の幸の味覚でいっぱい、リンゴ、ジャガイモ、シシャモ、アキアジ、タラバガニ、これらの珍味に舌づつみをうちながら、長い夜のひとときを過ごします。

(冬)

寒い朝、遠くの山々を見ると頂が白く、「ああ冬だなぁ」と心が引き締まります。

雪が降り、そして消え、また降りしきり根雪になります。

根雪が消えるまでの長い冬の間、北国の人々は雪の中で楽しむことを忘れません。

老いも若きもスキーに、スケートにウインタースポーツの花を咲かせます。

今では国際的に有名になった「さっぽろ雪まつり」をはじめとして、道内各地で冬まつり、流氷まつり行われます。

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