ニッカウヰスキー余市蒸溜所「夏」です。

今日の余市町の余市ニッカウィスキー北海道工場です。

天気も良く気温もグングン上昇中間もなく30度❗暑い💦😱😵😨

ニッカウヰスキー北海道工場

余市にはニッカウヰスキー北海道工場があります。

ウイスキーのモルト、すなわち原酒を作っているところです。

お酒は、お水と気候の良い所に美味しいものが生まれるといいますが、ここ余市は三方が山、一方は海にかこまれ、余市川の清流と、澄んだオゾン、温度・湿度など、スコッチの本場、スコットランドそっくりなのだそうです。

ニッカウヰスキーの海の親は竹鶴政孝さんですが、竹鶴さんは、スコットランドで醸造学を勉強し、帰国後、入社した寿屋(現サントリーウイスキー)で昭和4年、国産第一号のサントリーウイスキーを誕生させました。

その後独立して、かねてから白羽の矢を立てていた余市に工場を建て(昭和9年)リンゴジュースなどをつくりながら、ウイスキーの熟成を待ち、ニッカウヰスキーを世に送り出したのは、昭和15年のことです。

なお、ニッカの名前は、以前の会社名、大日本果汁の略、つまり大日本の「日」と、果汁の「果」からとって「ニッカ」と名付けたと言うことです。

竹鶴政孝

竹鶴政孝は明治27年6月、広島県竹原市にあった造り酒屋の三男として生を受けました。小さい頃はワンパクで8歳の時、自宅の階段から転げ落ちて鼻を強打し、七針も縫う大けがをしたのです。ところが、これが何と国産スコッチウイスキーを世に送り出す前兆だったのですから、解らないものです。その上、生まれた時から人一倍、鼻の大きな赤ん坊で回りが驚いたくらいなのですから。

「このけがで鼻が通るようになって、人並み外れた大きな鼻、臭覚が生まれ、ウイスキー造りに役立った」と政孝氏は生前語っておられたそうです。

大正5年、大阪高工醸造科を卒業し、大阪摂津酒造に勤務しました。当時、イギリスのウイスキーが日本市場に入り込み、ウイスキーに関しては我が国のものは焼酎に色を付けた程度のイミテーションだったのです。気骨のある摂津酒造の社長、阿部喜兵衛の勧めによって大正7年3月、大勢の見送りを受けて横浜から船に乗ってアメリカ経由でイギリスへ旅立ちました。

「わざわざ日本からウイスキーの研究にやって来るとは奇特な若者」と、目を掛けてくれるイギリスの技術者にも恵まれ、ウイスキーの技術を習得して日本に帰国したのが大正10年9月、竹鶴は永遠を誓って結婚したゼシー・リタを伴っておりました。

3年間の留学で習得したウイスキーに関する知識は、中々日本の酒造会社では受け入れて貰えず、摂津酒造から寿屋へ(現サントリー)そして昭和8年寿屋を退社し、かねがね目を付けていた余市でのウイスキー造りの準備に取り掛かりました。

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