北海道小樽観光貸切個人ジャンボタクシー高橋の小樽北一硝子周辺です。

余市町から小樽市へ移動しましたが、小樽市観光ジャンボタクシー高橋の小樽市は余市町より暑い💦暑い💦30度超えてま~す。

歩いてるだけで汗が出ます。

小樽北一硝子周辺は、相変わらず混雑しています。

早くクーラーのきいた所に、避難します。💦😨😱😵

小樽と硝子

昭和40年代に高度経済成長期をとげてきた日本のスクラップ&ビルド傾向の頂点にあって、振り返れば小樽のロケーションは「古いものが残され、暖かく、懐かしく、郷愁を誘う」ものでした。

この時代は機械によるプラスチック・ステンレス・セラミックなどといった新素材に対して、手作りによるローカルな素材としての硝子の様々な展開が小樽から発信されました。

硝子製造

明治34年(1901年)に設立された浅原硝子は、道内の硝子器製造業界では草分けで、現在唯一の漁業用浮球工場として、また小樽雪あかりの路の運河にちりばめられた浮球製造で有名です。

浅原硝子は博多で生まれた浅原久吉氏が博多や大阪で腕を磨き、小樽の富岡町で窯を開いたのがはじまりです。

明治年代の小樽近海はまさに鰊漁の最盛期で、当初網の位置を確認するために水に浮く桐などの木が使用されていましたが、水が染みこまず絶対に浮く浮球は鰊漁師にとっては重要な道具になっていました。

したがって浮球の生産に成功した久吉氏は鰊と硝子を結び付けた小樽の硝子の元祖といえるでしょう。

硝子販売

昭和9年(1934年)に浅原硝子は現在の天神町に移転しますが、浅原久吉氏は製造と販売を分離し、久吉氏亡き後、製造は2代目久吉氏、販売は弟久重氏が継承します。

この販売会社が後の北一硝子です。

鰊の漁獲量は昭和年代には不安定になり、したがって浮球需要も下火になっていきましたが、昭和40年代に小樽のレトロブームの火付け役となったのは、まさに稲穂町で馬そりランプをディスプレーしていた北一硝子でした。

以後北一硝子は昭和58年(1983年)に境町の木村倉庫を譲り受け三号館を開設したことが、多くの人々に「小樽の硝子」の魅力を見せつけ、まさに小樽観光の牽引役を果たしてきました。

スタジオ(工房)・グラス

硝子を素材としたスタジオ・グラスいわば立体造形のアートとして認められてきたのは、1960年代のアメリカでした。

ヨーロッパの伝統から発し、アメリカで起きたスタジオ・グラス・ムーブメントは世界に波及し、日本でも昭和47年(1972年)に「日本ガラス工芸協会」が発足します。

昭和49年(1974年)本邦初の「日本のガラス展」に出品して注目を浴びたのが浅原千代治氏です。

千代治氏は昭和54年(1979年)に小樽に「グラス・スタジオ・イン・オタル」を設立します。

硝子の街へ

これら3人の浅原氏の独自の活動が小樽の街に硝子ムーブメントを起こしていきました。

以後、様々な硝子業務が小樽から発信していきます。

古い町並みのロケーションや技術を磨く遺伝子が、全国の硝子関係者に大きな影響を与え、同時にビアグラス、トンボ玉、ガラス皿、オブジェなど小樽の硝子の層を厚くしています。

北一硝子(3号館)

洋ランプとガラス製品で知られる「北一硝子3号館」です。

建物は明治25年ころの石づくりの倉庫を再利用しており、オランダや、デンマークなどで集めた、600点のランプをはじめ、食器・ガラス工芸品など、1万6000点が展示されております。

もちろん、オリジナル商品もたくさん展示されております。

小樽ではで、レトロブームということから、古い建物を再利用した、ホテルやレストラン、あるいはお土産物店があちらこちらに建てられていますが、北一硝子は、その草分けともいえる観光名所になりました。

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