北海道観光貸切個人チャータージャンボタクシー高橋の『岩内町』観光案内です。

岩内町

岩内町は明治33年(1900年)に一級町村制が施行され、町の歴史はこの時に始まった様に思われますが、町の形体が出来たのはもっと古く、宝暦元年(1751年)と言われています。

江戸時代からニシンの漁場として栄え、特に江戸末期から明治にかけて日本最初の近代的石炭の積出港、アスパラガスの栽培、道内初の水力発電を起こすなど、日本のそして北海道の近代化の一端を担い、後志海岸地域の中心地として発展しておりました。

明治35年(1902年)には戸数2,281戸、人口15560人に達していたそうです。

因みにそのころの札幌の人口は4万人ですから、比較してみますと如何に岩内町が隆盛を極めていたかが解ります。

岩内町にニシンが来なくなったのは約70年前、黄金時代と言われれていたのはそれよりも更に遡って明治20年~明治40年頃で、漁場の数は岩内郡では82、3ヶ統あり、5万石の大漁も珍しくありませんでした。

(この頃、千石のニシンが獲れたら価格は3万円になり、これに対する1万4千円~5千円、差し引きすると1万5千円~6千円の利益があったと言われています。当時、1万5千円で2000俵の米が買えたそうで、現在、米1俵・2万円と計算しますと、何と4千万円にもなります。)

しかし、ニシンは北上し、スケトウダラ漁が町を支える様になっています。

その後の岩内町は泣かず飛ばずの時代を経て、昭和29年(1954年)の大火で市街地の2/3を焼失するという大災害に遭遇し、これによって大規模な都市計画で商店街、住宅街など整然と区画し、新生都市として見事に復興したのです。

岩内町の現在

かつて鰊漁場として栄え江戸時代から後志海岸地域の中心的存在だった岩内町も、200カイリ時代を迎えた昭和52年(1977年)を境に、港としての機能が段々と薄れて行ったのです。

人口は激減し、町からはかつての活気は失われつつ有りました。

最近の岩内町はこの町が生んだ画家・木田金次郎の絵に見るような、極彩色という言葉が似合う町の色を少しづつ取り戻している様に感じます。

人によってはこんなごみごみした色は嫌いだと答える人もおらっしらるかも知れません。

しかし、よくこの町を観察して見ますと、上品で気品のある佇まいがそこ彼処に感じられ、この町に住む人々のセンスの良さが感じられます。

漁業を中心として町が支えられていることは以前と変わっておりませんが、しかし、この町も世の流れに動かされ、大きな変革の時期を迎えております。

ニシンの不漁、200カイリ、減船など、次々と追い打ちをかけられた港湾や漁業関係者は勿論の事、岩内町が負ったリスクは大きく、更に、21世紀という新たな時代へ向かう時、国際社会においてどう生き延びて行くかが問われているのです。

この町だけではなく、後志支庁全体、または、かつてニシン漁で湧いた日本海に再び活気を取り戻すことが出来るか、多くの課題を抱えつつ、岩内町は港湾の整備、港の隣接地の工業団地造成、都市開発、観光開発など新な街づくりに力を注いでいます。

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