北海道観光貸切個人タクシー・ジャンボタクシー高橋の函館空港観光案内です。

函館空港にお客様をお迎えに行って来ました。

函館空港の周辺

東北・北海道地方でもっとも大規模といわれる遺跡地帯です。

2万7000㎡の広い区域から、縄文時代(8000年前)続縄文時代(2000~3000年前)の土器や、石器類10数万店が発掘されていて、ほかに住居・お墓・食物の貯蔵庫跡なども見つかっております。

函館の歴史

函館市の歴史、函館の「函」の字は、明治になってから改められたもので、それまでは箱根の「箱」という字を使っておりました。

今から550年ほど前、このあたりの豪族だった河野政通が、函館山の麓に館を築いたとき、その館が、箱のような形に見えたところから、「箱の館」箱館と呼ぶようになったといわれています。

江戸時代には現在の松前、当時は福山といっていましたが、この福山に本拠を構えていた、松前藩の番所となり、江差や福山とならぶ「松前三湊」の1つとして栄えました。

江戸時代も後半、幕府が松前藩にかわって、直接蝦夷地をおさめることになり、この函館に奉行所を設けました。

千島列島ぞいに、ロシアの勢力が南下しはじめ、いろいろな事件が起こるようになったからからです。

伊能忠敬が蝦夷地を測量したり、高田屋嘉兵が、択捉島への航路を開くなど活躍をしたのは、ちょうどこのころです。

こうして、蝦夷地の中心となった函館は、急速な発展を遂げ、安政2年(1855年)に、外国船が使う薪や水、食糧などの供給地として港を開き、続いて、4年後の安政6年には、長崎・横浜とともに、日本初の貿易港となってからは、外国船の往来がはげしくなり、領事館も置かれて、多くの西洋文化が流れ込みました。

函館奉行も、積極的にこれを取り入れて、諸術調所という、研究教育施設をつくって、新しい知識を勉強しようとする、若者達の要求に答え、医学所をつくり、中川五郎治に、日本で初めての種痘を行わせたりしています。

やがて明治維新をむかえ、新政府は、函館奉行の仕事を受け継いで、北海道開拓の計画を進めました。

しかし、このとき、榎本武揚の率いる幕府脱走軍が五稜郭を襲い、箱館戦争がおこります。

明治元年から明治2年かけてのことでした。

その後、政治の中心は札幌に移ってしまいましたが、北海道の海の玄関口として、重要性は変わることなく、今日まで発展を続けてきました

ターミナルビル内は、お土産屋さんも充実しています。

函館の名物といえば、何と言っても、イカですが、そのイカ漁は、夏の終わりころから秋にかけて、最盛期を迎えます。日暮れを待って出漁するイカ釣り船が、集魚灯をつけて、沖合に並びますと、その明るさは、「漁火銀座」と呼ばれるほどで、まるで海の向こうにもう一つの街があるかのようです。

イカは群を作り、1年間で日本列島を、南から北へ往復します。

2月から3月ころ、南の海で産卵された卵が、4~5日後にふ化しますが、このときの大きさは、1mmぐらいです。やがて、水温の上昇とともに北上を続け、8月末には、北海道や南サハリン(樺太)に達します。しかし、その頃になると、寒流が南下しはじめるために、ここでUターン、ふたたび、北海道の沿岸を通って、1月にはすべて本州へ帰り、卵を産んで一生を終えるのだそうです。

イカの寿命は、わずか1年。「イカにも」短い一生です。

生きの良いイカを細く切った「イカ刺し」や「イカソーメン」香ばしい香りの「イカ焼き」そして、かめばかむほど味の出る「スルメ」や「燻製」等の加工品と、イカの食べ方も色々有りますが、皆さんはどのイカがお好みでしょう。

函館空港展望デッキにも出てみました。

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