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千歳空港近くの樹雪風景写真です。【千歳Sightseeing Taxi】
北海道観光貸切個人チャータージャンボタクシー高橋の新千歳空港近くの樹雪観光写真です。
新千歳空港近くの樹雪が綺麗だったので写真撮って見ました。😃✌
大雪原に転がっているのは、牧草ロールです。
🚕🚖🚕
ロールベール
ジャンボなロールケーキ状のものが、あちあこちに転がっていますが、牧草をロール状に丸くまとめたものです。
ところどころに、白や黒のビニールに包まれているのは、このロール状の牧草をビニールでラップして貯蔵し、サイロと同じ役割をさせているもので、ロールベールといいます。(牧草をラップすることからラップ牧草ともいいます。)
直径7m、高さ20mもあるタワーサイロは、費用と手間のかかることから、かわって最近ではこのロールベールを使って、サイレージ(牧草をつけもののように発酵させたもの)をつくる酪農家も増えているそうで、牧草ロールをつつんでいるビニール色も、白や黒のほかに青なども見かけますが、サイレージには特に関係ないということです。
それでは、ロールベールができるまでの工程を、簡単にご紹介いたします。
牧草は春・秋、年2回刈り取りますが、はじめに、草刈り機を大きくしたような機械(モーア)を使って刈り取り、つぎに刈り倒された牧草をかきまぜて、牧草がまんべんなく乾燥するようにします。
この時には、トラクターの後ろに丸いクマでを5~6個つけた機械(レーキ)を使いますが、この丸いクマデが忙しく回転することによって、牧草は空中に舞い踊り、風通しもよくなり、良いサイレージがつくられるのです。
こうしt、あちこちに散らばされた牧草を、こんどはロールにしやすいように一定幅の列に並べます。
そして最後に、牧草が乾ききらないうちにこれを拾い上げ、ロールに巻いて出来上がりというわけでが、牧草刈りからロールを1ヵ所に集めるまでの全工程は、すべて機械を使って行われます。
ちなみに、あのジャンボロールの大きさは、直径1.7mもあるそうで、親牛1頭で約一月分の食料となるということです。
千歳市
JR千歳線、新千歳空港、国道36号線、北海道縦貫自動車道、と交通網の張り巡らされた千歳市は、他市町村からも注目の目で見られている自治体で、人口は約9万6千人を超える勢いで増加し、中堅都市として着実に発展を遂げています。
製造工場の誘致、新興住宅地の造成、マンション、ビル建設と日夜、人の動きが激しく、今後の発展が益々、期待されています。
ところで、以前から千歳と言えば自衛隊の街というイメージが強く、事実、陸上自衛隊7師団と2つの駐屯地、航空自衛隊第2師団が駐屯しています。
千歳は大正15年、飛行機が見たいと言うたったそれだけの思いで、千歳村の住民の奉仕と汗によって面積約10ha、長さ約108mの滑走路を20日間という短い期間で作ったと言います。何とそれが千歳飛行場の始まりでした。
昭和14年10月、千歳海軍航空隊が開設され、悪夢のような戦争の時代から、終戦を迎えた昭和20年10月、今度は連合軍の米軍が進駐するという事態が起きました。
戦後、平和を願う千歳の街も、米軍の進駐は大きく街の様子を変えてしまいました。
朝鮮動乱が起きたのは昭和25年、その翌年5月、アメリカのオクラホマから米軍が新たに12000人も進駐し、皮肉にも戦争がこの千歳に好景気をもたらしたのです。
昭和26年9月、千歳飛行場は北海道空港に名を改め、同年10月、千歳~羽田間に日本航空が就航、昭和29年、陸上自衛隊が駐屯することとなり、現在に至っております。
時は流れ、昭和33年市制施行、昭和38年、千歳空港ターミナルが完成し、空港の街として新たな歩みを始めました。
飛行機も大型化の時代を迎え、プロペラからジェット機へ大きく変化を見せました。
昭和45年、米軍のクマ基地が閉鎖となりました。(完全撤退は昭和50年6月)昭和20年9月アメリカの軍用機で数人の将校が千歳に来てからおよそ30年間、進駐軍に大きな影響をを受けていた千歳は、昭和28年当時、世界一、悪の街と、海外の雑誌に載るほど荒れていたこともありました。
それも今は懐かしく、新しい街づくりが平和な中で進められてきました。
空港が整備されることによって、隣接する大地は臨空工業団地として造成され、新しい企業が誘致され、現在は産業都市として大きく飛躍しております。
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